屏風岩
屏風岩の横から高台に登って(琉球山?)、渡月橋と西湖の堤を見下ろしています。
音羽の滝や通天橋は工事中。
得仁堂(とくじんどう)の前では、ガイドさんが話す伯夷(はくい)と叔齊(しゅくせい)、そして自らの身を重ねる光圀(みつくに)の立場を、皆さん熱心に聞き入りました。
【 小石川後楽園の造営を完成させた水戸二代藩主徳川光圀(とくがわみつくに)は、得仁堂を創設し、泰伯(たいはく)・伯夷(はくい)・叔齊(しゅくせい)像を安置しました。光圀が堂をつくり三像を祀ったことには、その徳を慕い、手本としていた光圀の強い思いが示されています。
三像のうち伯夷・叔齊像は、現存しています。
「伯夷・叔齊」とは、中国古代・殷代の小国の王子兄弟の名前です。二人は、跡継ぎになることを互いに譲り合い、国を去ったといわれています。これに対し国民は、「聖の清なるもの」と誉め称えました。兄弟は善政を行っていると評判の文王を慕い周の国へ行きましたが、時の王は亡くなり、子の武王が継いでいました。武王が父の葬儀も済まないうちに殷の君主を征伐しようとすることを知り、父子の道、君臣の道に背くと諌めたが聞き入れられませんでした。そこで二人は、「周に仕えて俸禄を受けるのは恥」として山にこもり、ワラビで命をつないでいましたが、ついに餓死したといわれています。
光圀は、6歳の時に兄をさしおいて世継ぎと定められ、苦しみ続けた自らの身の上と重ね、18歳で「伯夷・叔齊」の物語を読み非常に感銘を受けました。光園は「仁を行い得た人たち」を祀る得仁堂を建立し、伯夷・叔齊の木像を納め参詣したと言われています。 】
近江大津の「唐崎の一つ松」を写したもの。
後楽園のシンボルツリーの一つですね。
白糸の滝
朱舜水の設計と指導で造ったとされる中国様式の石橋。
ほーら、水に映ると円月(滿月)になるでしょ!
ほーっ、素晴らしいですねえ。
かつての神田上水の跡ですって。
紅梅が咲き始めていました。
「水戸偕楽園里帰りの梅」って、なんか笑っちゃう。
水戸黄門さんの粋なはからい?
紅梅、白梅の中に黄色がかわいい蝋梅も少し。早春です(1月17日)。
船着き場が数ヶ所あって、大泉水(琵琶湖)に舟を浮かべていたそうです。
欅の老木。どっしりと存在感がありました。
名ガイドさんのおかげで、感心することばかり。後楽園の奥深さを味わいました。
後楽園の後はあの丸屋根の東京ドームに向かいます。
(つづきます)

















