母がクモ膜下出血になりまして。その2


2012年6月9日(土)

今日は母の手術。
昨日妹に連絡を取ることができ、
たまたま3連休だったので、昨日のうちに自分と母の家に到着。

朝、手術前に病院に駆け込み、手術前の母に会うことができた。
母の妹である叔母も駆けつけ、場は和みつつ。。。

ついに手術開始。
時間はAM9:30を少し回っていたと思う。

医師によれば、少なくとも3~4時間は掛かるとの事なので
大体15時~16時あたりを目処に予想していた。

手術中は常に誰かが控え室に居て、何かあったときの決断をしなければならない。

みんな雑談をしつつも、どこか上の空で、心なしか緊張している様子だった。

集まったのは、自分を含め7人+子供1名。
単純に、本当に単純に、母の為によく7人集まって貰ったなぁと思った。
危ないときに駆けつけてくれる人間が7人もいることに感謝した。


手術はとても長かった。
執刀医はこの病院でトップとナンバー2という顔ぶれで
母もその点は安心していたそうだ。

15時をすぎても16時を過ぎても、何の音沙汰もなかった。


「何も誰も言ってこないのは、順調に進んでる証拠。
 焦らせて変な処置になっても困るから、ここは待つしかない」

何度も会話中に出てきた言葉。
あせってはいけない。
便りが無いことは、順調に手術が進んでいる証拠。


17時を過ぎた頃、執刀医と思われる医者が待合室のドアを叩いた。

「手術は無事終了しました。
 今のところ感染症などはありません」


とても、力が抜けたと思った。
特に顔の力が抜けた。

ひとまず手術は終了したのだ。
これからは後遺症がないか、再発しないかの判断となる。

まずは一つの山を越えた。

医者には術後の2~3週間の間に危険な山は3度来るといわれている。
次はそれに備えなければならない。

手術は結局8時間にも及び、終了したのは
18時を回っていた。


手術後、母と面会することができた。
しかも意識があるという。

ICUに大人数で行って良いものかと思いつつ、入る。

母は目をさましていた。
意識もあった。

頭は生ナマしく裂かれ、縫合された跡が見えた。
頭からクダが2本出ており、本当にクモ膜下出血だったんだと思い知らされた。



気分が悪そうに顔をゆがめ、受け答えする。


気になる右手と右足も、問題なく動いていた。
まずは麻痺の後遺症を免れたのだ。
これで日常生活を送ることは出来る。


感謝した。

よかった。

ただし、これから7日間は血管のれん縮による脳梗塞などの危険性が高いので
まだまだ余談を許さない状況だった。

みんな疲れていた。
それぞれに感謝し、帰宅することに。

兄と自分は生活スタイル上、面会に来ることができたので
毎日来れる日は来よう、と言い合った。