先日スピリチュアルセミナーに行ってきた。


そこで霊性チェックテストなるものをやってきた。


結果は「ど霊媒」体質だった。


テストは30設問あり、人格タイプか霊媒タイプかに二分される。


また「人格タイプ・霊媒タイプ」は、それぞれ三段階に分かれており


ぷち 人格or霊媒

やや 人格or霊媒

ど 人格or霊媒


この様に分かれる。


個人的な感想としては、「それで?」という感じだったけれど

そもそも「人格」にしろ「霊媒」にしろ、「人格」とは何であって、「霊媒」とは何であるのか?

そこを踏まえてないと、まったく診断の意味がないと思った。


というか、そもそも診断出来るものなのかどうかも疑問に思う。


改めて思ったのは、何にしろ安易に答えを出すのは危険だなと思った。


あなたは「やや人格タイプ」です。


例えばこんな結果がでたらどうでしょうか?


「やや人格」って何でしょうか?

ってなりませんか?


また、例え結果を鵜呑みにしたとしても


で?

それで?


ってなりませんか?


全ての事に意味があるのなら、もっと慎重に事の真相を見出さなければならない。


安易に答えを出すのも、決め付けるのも、最善とは到底思えない。


全ての事に意味があるのなら、その本当の意味を見出さなければならない。


人生って、思ったより本当に奥深いと思う。


それは計り知れない程深くて、到底簡単に分かったつもりになんてなれるものじゃない。


分かれば分かるほど、知れば知るほど、その奥深さにただただただただ頭が下がり

無知の知を実感するばかり。


もっと生き方や自分自身の事について、もっともっと謙虚になるべきだと思う。


それなりに人それぞれの哲学があったりするけれど、謙虚である事に勝るものはない。


満タンの器には、本当に入れたいものを入れることが出来ない。


「こうだ!」

「ああだ!」

と結論付けてしまった自論を一旦崩してみよう。


結構くだらない自論に縛られている事が少なくないと思う。


安易に答えをだそうとしないで

もっと奥深い世界を探求してみよう。


そこには思いもよらなかった”真実”が沢山隠されている。





今日は透視リーディングの体験会に参加してきました。



一言で感想をいうと、「面白かった」です。



ただ、内容の正誤は置いておいたとして、まさか透視リーディングを受けて爆笑するとは思いませんでした。



今日は、勉強中の生徒さんにリーディングして貰う体験会だったのですが、一人面白い生徒さんがいました。


リーディングは複数人の生徒さんに囲まれて受けたのですが、ある一人の生徒さんが

「あなたのハイヤーセルフが「自信を持って」と言っている」

と言ってくれました。



そこで、私のハイヤーセルフとは、どんな感じの存在なのですか?と質問をしました。

そこで他の生徒さんがすかさず手を上げ、「大仏の頭の上のようなイメージ」と言ってきました。



え!?


color子のカラーセラピー


ブツブツ?


color子のカラーセラピー


私のハイヤーセルフ・・・


ブツブツ?


color子のカラーセラピー

もう笑いを堪えるのに必死でした。



そのあと、何故だかイメージは西洋にぶっとび、イエスキリストを抱いたマリアの姿が見えると言ってきました。



他にも彼は色々な面白リーディングをしてくれました。


ある一人の生徒さんが「ちょっと自分の殻に閉じこもっていてる感じがしますね」と言ってきました。

そこで「その殻をやぶるにはどうしたら良いですか?」と質問をしました。



そこで先ほどの彼が一言。

「大声を出せばいいんです」



えぇ!?


もう笑わずにはいられませんでした。

なんで?なんで?と突っ込みたいところですが



彼いわく、

彼のイメージの中に武家屋敷のようなお屋敷が見えたらしく、その中にいた武士がわーっと両手を挙げて、縁側から外に大声を上げて飛び出していった映像が見えた

との事でした。



もう他の生徒さんも笑いを堪えられず、笑っちゃってました。



他にも彼の珍リーディングは続き

別の生徒さんから「全般的に停滞気味で、行動を起こす瞬発力がなくなってる」と言われたので、「どうしたら素早く行動を起こせる様になりますか?」と聞いたところ、また例の彼が

「あなた水泳が好きだね。泳ぐの得意でしょう?」

と一言。


嫌いではないですが、特に得意な訳ではないので

「得意ではありませんが、水に浮いてるのは好きです」

と答えました。


そうした所、「さっき沢山の蛙が見えたんだよね。ぜひ水泳をすると良いよ」

との事。



蛙=泳ぐ=水泳が好き=水泳をすると良い

⇒行動を起こす瞬発力がつく


な、何じゃそりゃ!


凄い読み解きだ・・・


ある意味物凄いリーディングだ!

と思いました。



何が凄いか。



回答をする時の発言に迷いがない。

微塵もない。

物凄く自信をもって言い切る。



これはある意味大切な事だなと、彼を見て改めて学びました。



とにかく、彼にとって見えたイメージは、彼にとって「事実」であることは間違いないので、恐らく何の迷いもないのでしょう。



ですが、彼が見たイメージは、彼にとっては「事実」であったとしても、それが「真実」であるかどうかは定かではない。



私自身、透視リーディングを鵜呑みにする事はしないので特に害はありませんが、「真実」を知りたがっている人にとって、透視リーディングの類は「真実」を知るには遠回りになる事間違いないでしょう。

最近の特に若い人は、このヒューマニズムに惹かれている人が多いような気がします。


ヒューマニズムの魅力。


確かに魅力的ですよね。


多くの人が、周囲の人との関わり合いの中で、人の温もりを感じ合いたいと願っている様です。


「他人を思いやる」

「人が人に尽くす」


とても素晴しい事だと思います。


でも「他人を思いやる」にも「人に尽くすにも」

動機と目的が正しくなければ、それはただのエゴになります。


仮に、エゴの良し悪しを置いておいたとして、本当にヒューマニズムで人は幸せになる事ができるのでしょうか?


とても疑問に思います。


人によって、価値観が多種多様にある以上、場合によっては

「他人を思いやったはずなのに」

「一生懸命に尽くしたはずなのに」


何故か感謝して貰えなかった。

何故か理解されなかった。

何故か文句まで言われた。


なんていう事も起きうるかと思います。


この時、他人を思いやった方の、尽くした方のエゴは満たされないですよね。


人間を中心に考えれば、どうしてもこの様なすれ違いは起きざるを得ないと思います。


個人における様々な道徳観や倫理観で

「これが世の為人の為になる」

として取る行為の是非を、様々な道徳観や倫理観を持つ人間が下すのであれば、このすれ違いが生じるのは仕方がない事ですよね。


やはりここで感じるのは、ヒューマニズムには限界があると思うのです。


ヒューマニズムでは、人は「真に幸せ」にはなる事は出来ません。


ヒューマニズムの終着点は一体どこなのでしょうか?


考えた事がありますか?


目的もなく「人が人に尽くそう」ったって、目的地点が分からないのだから、その行為の是非が問えないですよね。


何の為に、どうして、それをするのか


それを分からないままやっていても、どうしようもない。


形式ばった、上辺だけの人間関係に飽きてきたのなら

そんな世界に嫌気がさしてきたのであれば


もっと本質を見抜かなければならない。


「なんかこれが正しい気がするから」

なんていうレベルから

もっと確実な内容まで辿りつくべきだと思う。


是非、周りに流されないで欲しい。


「常識」なんていうもの程、信用できないものはない。


「過去には常識」でも、「現代には通用しない」ものが山ほどある。

逆に「現代の常識」が、「過去では理解されない」ものが山ほどある。


こんなものに「幸せ」の基準を置くわけにはいかない。


人間の生きる目的も

本当の幸せも


もっと「不変的」なものに基準を置かなければならない。


ヒューマニズムでは、絶対的に「真に幸せ」になる事が出来ない。


「真に幸せ」になる為には、「永遠不変」なるものを求めなくてはならない。