姫路駅から西へ・・・ミグと航&海音を背負い、両親の写真をリュックに潜ませて、姫新線のたった一輌の赤い電車に乗って、ひまわりの里へ行ってきました。
紫陽花やコスモス、中でもヒマワリが大好きだった母に、どうしても満開のヒマワリ畑を見せてあげたかったのです。もしかして、海軍だった呉時代の父と母の想い出の中にその花があったのだろうか。。。
それとも、終戦の一ヶ月前、広島県の大竹市の私が生まれた家にも、夏にはひまわりの花が咲いたのだろうか。。。
それは、もう訊くことは出来ないけど、私が3歳の時に一家で広島を出て、父の実家がある忠臣蔵の町に移り住んだ頃からの、うっすらとした記憶を辿ると、今で言う市営住宅のような小さな家の裏の僅かな土地には、ぶどう、ポポー、びっくりグミなどの果物や野菜を植え、家の表には大きなイチジクが枝を広げ、いつも子ヤギを繋いでいた共有の畑の畦に固まって咲いていたはハッキリ覚えている。
なぜ・・・母がひわまりを好きだったのか
決して華やかな人ではなかったけど、一人娘の私には苦しい時代にも町の洋品店で服を誂えてくれたり、年頃になったころ流行り始めたロングブーツを履けと勧めたモダンな人だった。
自分の遺影を、好きな帽子と顔のアングルまで指示して、私に撮らせるオシャレさんだった、そんな人柄がひまわりへ繋がったのだろうか。。。
母が去ってからずっと考えていたこと・・・それは母をひまわり畑へ連れて行く
熱中症を心配して止める夫に言った。
今日 決行しますっ!!!!!
万一、夜9時を廻っても携帯に連絡がなかったらひまわり畑へ探しに来て
車なら2時間もかかりませ~ん
リュックにミグと航&海音、日傘、タオル、着替え、帰れなくなった時の非常食?手のひらに乗るコンパクトデジカメ、そして、畑のある姫新線・播磨徳久(はりまとくさ)駅の近くのスーパーで買った500mlのお茶、スポーツドリンク計3本と弁当を詰め、ひまわり畑へ
タクシーに乗るほどでもない距離だったけど、とにかく体力温存で畑に到着。
12時を廻っていたので、とりあえずテントの中で腹拵えと水分補給をしながら、ふと目の前を見ると・・・すでにこんな景色が広がっていた。
朝から曇りがちで、時々真っ黒い雲が現れる生憎の天気で、およそひまわりとは似合わない空で、折角のひまわりなのにキレイな写真が撮れなかった。。。
ひまわりに囲まれて、写真を撮ってもらうのが好きだった母のVサインのポーズがピッタリの一枚です。
こんなにイッパイのひまわり、見たことなかったやろ?キレイやろ?
ひまわりの上に広がる空にむかって、少しだけど散骨をしてきました。
そして航&海音は・・・・・・
ミィ~~~ン ミィ~~~~~ン ヾ(ーー )
午後 2:30 夫からメール お~い!生きてるか~?
Re: 生きてる!
★哀しきかな・・・ミグとひまわりは身長差があり過ぎて・・・・・
そろそろ人影もまばらになって、念願を果たした満足感を抱きながら畑を出ました。
そして、タクシーで昨年夏の水害で大きな被害を受けた佐用町へ!
途中、運転手さんの「この辺りも床上まで水が来て、みんな大変やったんや」と、かなり街中でも水が来たのだから、町全体は相当大きなダメージを受けたことが想像されます。
佐用町は、テレビなどのB級グルメでも知られるホルモン焼うどんで有名な町だけど、今でも町の至る所に復興のスローガンが掲げられています。
今年の大雨では昨年ほどの大きな被害がなかったようですが、一日も早くみんなが笑顔になれる町になってほしい。
★まだ終わってはいない、もう一つ、叶えてあげなけれいけないことが残ってる。