1986年12月生まれ、現在38歳。
生まれてすぐに「口蓋裂(こうがいれつ)」が見つかった。
口の中の部分だけで、少し大きくならないと手術ができないと言われたそう。
ミルクは飲めないし、飲んでも口や鼻から吐き出してしまう。
母は本当に大変だったと思う。
でも手術が終わってからは、元気にすくすく育った。
父と母は共働きで、いつも忙しかった。
日中は祖母が見てくれていたけど、目に障害を持ってて社会に出た事がなく、基本放置気味。
まぁ、昭和あるあるかもしれない。
だから私は兄妹と過ごす時間がほとんどだった。
休みの日は朝から夕方まで外遊び。今の時代じゃ考えられないw
うちは裕福な家庭ではなかった。
でも、両親は一生懸命働いていた。
家族旅行なんて行ったことなかったけど、夏休みには必ず海に連れて行ってくれたし、年に一度くらいの連休には、水族館にも連れて行ってくれた。
そのとき着るワンピースが嬉しくてたまらなかった。普段はお下がりばかりだったから。
中学生になって初めてマクドナルドとからあげクンを食べた。
お小遣いなんてなかったから、友達が少し分けてくれた。
「こんな美味しいものが世の中にあるのか!」って衝撃だった(笑)
新聞配達をして少しお小遣いを稼ぐようになったのも、友達が勧めてくれたから。
あの頃の友達のおかげで、世界が広がった。
父は6人兄妹。
お盆やお正月は親戚がたくさん集まって、家がにぎやかだった。
その中で大人に混じって話をするのが好きだった。学校では自分を出せないタイプで、大人数が苦手だったけど、親戚の集まりのときだけは“自分を出せる”感じがあった。
「あーさん可愛いー!」って褒められるのが嬉しくて、きっとそのときに私の“明るい部分”が育った気がする。
勉強もスポーツも得意じゃなかったけど、
美術や家庭科、技術はそれとなく得意だった。
高校は“とりあえず”行けそうな女子校を選んだ。
でも中3の冬、先生に「このままだと危ない」と言われて、人生で初めて塾に行った。
そこで初めて、「わからないことを教えてもらう」楽しさを知った。
小学生のころは勉強を教えてくれる人なんていなかったし、“分からないことを聞く”という発想すらなかった。
小1のとき、少し休んでいる間に引き算の授業が始まっていた。休んだ分教えてくれる訳でもなかった。
宿題をしていても全く意味が分からず、ただ悩んだ。
たまたま遊びに来ていた父の兄妹が教えてくれて、その日初めて引き算ができるようになった。
今でも算数は苦手だけど、あのときの嬉しさは忘れない。
あの瞬間が、“誰かに助けてもらえる”ってことを知った最初の経験だったのかもしれない。
たぶん30歳くらいまで、ずっと“他責思考”で子供だった。
何かにつけて責められると自分のせいじゃないのに。そう思う人間だった。
でも、いろんな経験が私を育てた。
うまくいかないことも、恥ずかしい過去も、全部が成長の糧になった。
高校を卒業して、社会に出て。
そのあと19歳で出会ったのが、今の夫でした。
ここから、私の人生は第二章に入った気がします。