「どうしてこの子だけが」

子どもが難病の可能性が高いと認識したときから頭を渦巻く感情。

思い描いていた順調でキラキラした新生活。
それが一気に奈落まで突き落とされた衝撃を受ける。


私はさいわい健康に産まれ、たいした病気もせずここまで来れた。
そして、元気な長男を育てた。
とにかく「病気」「障害」「移植」なんて
テレビドラマの世界の話であって、私には関係ない。
本気でそう思っていたんだろう。

すやすや穏やかに眠る我が子を抱きながら、泣きに泣いた。


ちゃんと産んであげられなくてごめんね。
妊娠初期に栄養摂らなかったのがいけなかったんだろうか。
雑事にかまけ、お腹に話しかけてあげなかったのが

悪いんだろうか。
臨月近くの祖母葬儀時、おばの勧めを無視して

鏡を持たなかったから 、祖母がさくらを連れ去ろうと

しているんだろうか。
…………


私の性格をよく知る人なら、まさか私がこんな非科学的なことを
考えたとは意外に思うだろう。
しかしそのくらい気持ちの持っていきどころがなかったのだ。
涸れることのない涙が、さくらの服にいくつもの染みをつくった。

さくらはそれでも安心しきった顔ですやすや寝ている。


産後の不安定さも相まって、私は本当に何もかも投げ出して
消えてしまいたかった。
一生難病を抱えて生きるくらいなら、いっそいま天国へ還った方が
いいんじゃないか。
それを実行できるのは母である私のほかない……。


そのころたまたま胆道閉鎖症の闘病ブログを読んでいた。
「胆道閉鎖症と愛娘の死 ~そして新しい命」
かいつまんでネタバレさせてもらうと、胆道閉鎖症の「篤ちゃん」が
異常発覚~検査~診断確定と最初の手術(葛西術)~

移植~再移植~ 亡くなるまでの道のりを細かく記したものである。

読み進める中、何度も何度も涙でモニターが見えなくなった。
小さい身体であれだけのことに耐え続けてきた篤ちゃん。
それでも本人・家族・医療者の努力の甲斐なく、

彼女は短い生涯を終える。


彼女のことが頭から離れなかった。
もし胆道閉鎖症だったら、さくらも篤ちゃんのように、

さまざまな苦難の末 苦しみぬいて死ぬんだ。


いやだ。
いやだいやだいやだいやだ。

本当なら、採血一本ですらいやだ。
自分の生命より大切な我が子。
幼くしてつらい思いをさせたくない。
しかもどうせ助からないなら、せめて苦しまないうちに死なせてあげたかった。


かなり恐ろしいことを書いたが、本気だった。
読んで気分を害した方には申し訳ない。
そして現在はまた違った心境であることを付記しておく。


ただその時の私には
「元気で可愛い赤ちゃんが、すくすく育って何一つ問題なく大人になる」
という未来像しか考えられず、
それが叶わないとわかった時点で「もうダメだ」と切り捨てるような
感覚に陥ってしまったのだ。


たとえ生きていても、一生薬を飲み続けないといけないというだけで
当時の私には大変な壁に感じられた。
(胆道閉鎖症はいずれにせよ一生定期的な通院が必要。)
それが正直なところ。


我々親ですら越えたことのない、高い高い障壁。
それを、生まれて間もないこの子に挑ませるのか…
一生つきまとう足枷を負わせてしまうのか…。
ひたすら申し訳なく、涙が止まらない。
泣いてもしょうがないとわかっていても。



ただ、どうしても出来なかった。娘を手にかけることは。
そっと指を近づけると、小さくきれいな手で握り返してくれた。
乳児の把握反射とわかっていても、思わず顔がほころんだ。
お腹がすいたと泣き出したら、何とかしてやらねばとすぐ動いた。


せめて
少しでも軽い病気であって欲しい
少しでも軽い病状であって欲しい
少しでも治療がうまくいって欲しい…

胸が痛かった。
比喩ではなく、本当に胸が締め付けられ、全身が痛みで痺れた。

毎日ほんの少しの希望を抱いて、次々に打ち砕かれて
それでも諦めるわけにいかなくて、日々をじっと耐える。


一番つらいのは、一番泣きたいのは、
この子本人だよなと思いながら。



(追記)  「篤ちゃんママ」とお知り合いの方へ。
私はあのブログを批判しているわけではないし、
読んだことも後悔していません。
いまの病院にたどり着いた最初の情報源は、あのブログでした。


ただ、まさにこれから闘病生活、という当事者にとっては
果てしなく心揺さぶられる、悲しい悲しい事実でした……。

実は今でも頭をよぎります。 ※当時移植前
もし移植しても篤ちゃんのように術後の合併症で天国へ行って
しまうんだろうかと。皆さんご存知のように、術後は
狭い狭い道を慎重に通り抜けなくてはいけませんから。


だけど、私は娘が元気に走り回れるようになると信じています。
篤ちゃんのご冥福を心よりお祈りしております。