..........2000.02.25 4:44
26年。26歳になりました。
長いのか短いのか
惑星規模で考えたら生きてないようなもの
気がつかないうちに いつからか
『希死念慮』みたいなものはわたしのなかに
じんわりじんわり住み着いていて。
それがあたりまえで。
ここまで生きるなんて想像もできなかった
ここまで生きるなんて『つもり』もなかった
ここまで生きてきて『今』なにを思うんだろう
.........ちなみに今は箱根の温泉旅館にきていて
ひとりで客室露天風呂にはいりながら書いて〼
2月下旬の朝方4:00はさすがにガクブル案件^^
あと2時間くらいで日が昇るので
はやめに書き終わらせたい気持ちです。
大切な人といっしょに
朝日も見たいのでやっぱり
はやめに書き終わらせたい気持ちです。
ここ2.3年は誕生日は
だれかと過ごしているので
ひとりぼっちじゃないのはありがたい。
ただわたしは『ひとに恵まれている』なんて
今まで1度たりとも思ったことがない。
だいたいなめられて都合よく扱われて
なんとなくそこに存在させているかのような。
『嫌い』ではないけど
『大切』でもないみたいな。
『今の環境』もそれに近しいものを感じる。
というよりは
今までそうゆう扱いをされてきたときの
『わたしが感じている違和感』が近しいから。
つい最近親友と飲んだときに
『めいは他人を軸に生きている。』と言われた。
他人に認められたいという
承認欲求が過度に強いらしい。
愛着障害のひとつでもあるとかないとか。
他人に対する期待ばかり膨れ上がって
待てども待てども
満たされないから結果破裂する。
まあ 正直刺さった
きっとわたしを言語化するとき
最初に出てくる言葉は『承認欲求』だから。
さすがにこの歳で恥ずかしくはなりました。
生きるのが上手とか下手とか
地位だの名誉だの人気だの金だの酒だの
だのだの
正直どうでもよくて。
他人からの評価がすべてと言われる
『水商売』でこれを言うのは憚られるけど
『わたし』は
『わたしが好きなように』生きたい。
他人に嫌われようが好かれようが
『わたし』が
『わたしを好きでいられるように』。
大切にしてくれないひとは
大切にしなくていいと26歳で気づきました。
『大切のカタチ』ってひとそれぞれだから
とてもとても難しいことでは
あるんだろうけれど
〝伝える〟かどうかで
月とスッポンくらいの差があるから
わたしはわたしのできるかぎり
『大切』を〝伝えて〟いきたい。
これを見ているひとの中には
これから先もう会うことないひとも
たくさんたくさんいるんだろうけれど。
それでもわたしたちは
いい時代に生きているから
SNSという『大切』を〝伝える〟ものが
あるから
驕ったりせずに
ひたむきに人間をやっていきたい。
なんだかんだ
それなりにひとりで生きて
それなりにひとりで死んでいくと
すこし前まで本気でそう思っていたけれど
このひとと『いっしょ』に『生きて』いきたい
と思えるひとにも出会えたので
人生とってもとってもモーマンタイ‼️
わたしはわたしの思う『大切』を『大切』に
それでもし大往生できたら
すこしは生まれてきた意味が
わかるかもしれない。
お母さんへ
わたしは未だに自分が生まれてきた
『意味』も『価値』もわからないけど
すくなくともわたしの母親が『あなた』で
悔やんだことは今まで1度たりともないです。
昔から心配も迷惑も
数え切れないくらいかけてきただろうけれど
これから心配も迷惑も
数え切れないくらいかけてしまうだろうけれど
わたしの母親になってくれてありがとう
これからも末永く
よろしくお願いします \\\\ ꐕ ꐕ ꐕ ////
P.S. 現在の時刻 6:00 ☀️☀️
2026.02.25
めい