ここ暫くの間、文字を書くという行為から離れていた。
最後に書いた記事は、母が熱中症で倒れた時の話だ。
もう、随分と昔のようにも感じるし、読み直した時は、つい昨日の事のようにも思えた。
自分が何もしなくても流れていく無慈悲な時間に、何を期待していたというのだろう。
過去の出来事を振り返った時、懐かしいだとか、あの時は楽しかっただとか、そんな思いは全く感じられず、あるのは、ただ自分には本当に何も無いんだなと実感する事だけのように思える。
夢だとか、希望だとか、愛だとか、お金だとか、やりたい事だとか。
SNSで他人が投稿した文章やら写真やらを眺めていると、本当にそんな事思ってるのかよ、そんな事がしたかったのかよ、と言いたくなる。
そして、そんな事をしたり、言ったりしている他人は、どうしようもない程に、例えそれが薄っぺらい物だとしても、素敵な何かを持って生きているんだなと、最早、尊敬すら覚える。
何も無い自分が吐き出した言葉の羅列が、時たま誰かの何かに刺さったりなんかして、『ブログがいいねされました』と通知が来る。
何が良いのか分からないから、その通知ですら空恐ろしいような、憂鬱な気分になる。
知る事は生きる事に直結すると思っているので、分からない事を1つ見つける度に、自分はこれを知らないばっかりに、地獄に落とされたりするんだろうなと、馬鹿な事を考えたりもする。
そうして、色んな事を調べていくと、絶対と言っていいほど、それを批判するヤツがいる。
他人の意見に批判する、他人の意見が、まるで自分を批判している様に思える。
そんな事は絶対(…と言っていいのかどうかは曖昧だけれど)有り得ないにも関わらず。
そういう物を見るのがもう面倒になって、1度SNSから離れてみたのだけれど、そこで得られたのは、何も無い自分だけだった。
これから自分にとって必要なのは、他人にも自分にも、何にも期待せずに、あるが侭を受け流しながら生きる方法なのかもしれない。
知らないけど。
最後に、個人的な呟きを。
両親はいつ離婚してくれるのだろうか。
もう、これ以上、板挟みの現状に耐えられそうにない。
弟の車を盗んで、崖から飛び降りてやろうか!
(映画『オン・エッジ 19歳のカルテ』みたいに失敗すると思うけど)