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Now It's Mika! (ミーカ)

Mikaファンライフの中で、日々観て聴いて感じて想うコト
~what Yuko thinks by watching, listening and feeling in her Mika-fan life~
Mika(ミーカ)はアメリカ人の父親とレバノン人の母親を持つ、ベイルート生まれ、パリ、ロンドン育ちのシンガー・ソングライター

明けましておめでとうございます🎍

いつも読んで頂きありがとうございます。

遅くなりましたが本年もどうぞよろしくお願い致します。



もう年を越してしまい、去年、2024年11月29日、30日放送のTV番組になりますが

MikaがフランスのTéléthon(テレトン)のPatronを務めました


Téléthon(テレトン)は日本でいう24時間テレビみたいな番組です。

難病と闘う子供達の治療のための募金活動。

日本の呼び名に置き換えるとパーソナリティになるのでしょうか。

でも番組の司会進行のようなことはしません。

Mikaはインタビューやインスタでは、le parrain、godfather とも言っていました。

パトロンというとスポンサーとか、ゴッドファーザーといえばイタリアのマフィア、名付け親??と思ってしまいますが

プロモーション活動をする人、という捉え方で良さそうです。


日本からでも後日、TV5mondeのサイトで5時間のダイジェスト放送を見ることができました。

後半のMikaは、難しい病気にまつわる治療などの話を聞きながら疲れがピークに達しているように見えました大あくび


夜はちゃんと眠れたようです。

「おはよう」のMika

か、、かわいい💕



こちらはHappy Endingの映像



8千万ユーロ近く集まったそうです。

日本とは桁が違う。



このプロモーション活動のため、Mikaは施設を訪ねたり、TV番組に出演したりしていました。


これは公式のチャンネルなのか、ちょっと良く分からないのですが

このインタビュー、好きでした。


こちらではMika自身についてのインタビューを受けており、Passé, Present, Future 、過去現在未来のテーマに沿ってMikaにまつわるエピソードを話したりしているのですが

Mikaが歌を始めた頃、英語だけでなく、ドイツ語や日本語の歌も練習していたりしたと話しています。

なんの歌を練習してたのか、興味があります。


インタビューが始まる直前に、足元に用意されているお水のペットボトルをもちあげ

「お水、ありがとうございます。」と言ってる様子が入ってます。

こういうスタッフさんへの気遣い、お礼、できるようでできる人ばかりりではない!


<Passé(過去)>

インタビュアーの方から開けるように言われた封筒の中には、レバノン国旗の柄の蝶ネクタイ。


これはあらゆる事を全て同時に表してますね。

僕は1983年にレバノンで生まれて、そこで1年半ほど暮らして、アメリカ人の父とアメリカ系レバノン人の母と避難しキプロスに着いて、

85年に母はアメリカに戻りたくなくて、レバノンからも遠く離れたくなかったのでパリに辿り着きました。

母は裁縫師だったので、とりわけ子供服を作っていて、それはニューヨークのあらゆる場所で、ラファイエットのようなところとかで売られていました。

それで私は母と一緒に大きな生地問屋へ行き、自分の生地を選ぶのが習慣となり、それを母に洋服にしてもらうようお願いしていました。

私には一種のこだわりがあって、いつもシャツとズボンと同じ生地の蝶ネクタイを着けていました。

こうして私は、レバノンを代表するような容姿と、独特な洋服とを、4歳の時から持ち合わせるようになりました。


といったような。


パリでは学校の制服があったから、家で蝶ネクタイをしてても、それを見る人はいなかった。

イギリスではロンドンにあるフランス学校に入学したMika。

初日。

黄色の半ズボン、黄色のシャツ、黄色地にオレンジの水玉模様の蝶ネクタイ。

完璧なんかじゃなかった。あれは酷かった。

ママも少し助けてくれたら良かったのに。

GAPがあったんだから、GAPでベージュの服を買ってくれれば良かったけど、そうしてはくれなかった。


今は笑って話せるMika。

分かるなあ。ここまで顕著でなくても、誰でも多少はあるようなことの気もしますが。

Mikaの拘りも、相当強かったのでは無いかなぁ、なんて。

(デビュー当時のWallet or Purseの違いに拘っていたことがわかる動画とかあるし)

でも見てみたい気もするな、子供の頃のMikaの全身黄色にオレンジの水玉模様の蝶ネクタイ姿。

おしゃれで可愛かったはず!!

小学校という環境にはそぐわなかっただけよね。きっと。

30年も経って、ようやく時代も追いついて来ているのでは無いかな。

いや、まだ追いついてないか?

という私も他人のこととやかく言える立場ではない。


今回このインタビューを見て、私の中では、点と点が繋がった!と思ったことがありました。


Mikaの家族はフランスからイギリスに移り、

ロンドンで通い始めたフランス学校で、陰湿ないじめを受け、その学校は辞めることになるのですが

次の学校に通い始めるようになるまで、Mikaが心を閉ざし、言葉が出なくなってしまっていた頃

毎日公園へ行くようママに言われて、一人で池で鳥とかを見ていた、という有名なエピソードがあります。

お姉さん達は学校へ。Mikaは公園へ。ということで当時、姉達はずるいと怒っていたようです。(そりゃそうなるわ)


イギリスにある公園といえば、いわゆる日本のような公園はあまり思い浮かばず

そしてMikaの住んでいた家の近くには有名なHyde Parkがあり、大きな池もあるので、

私はMikaがHyde Parkへ行っていたのだろうと思いながらも

10歳にもならない子供を一人で気軽に公園に送り出せるような国では無いし

ましてやHyde Parkの敷地は広大なので、Mikaは実際のところ、どうしていたのだろう?と少し不思議に思っていたのです。

(私がイギリスに住んでいた頃、通学も保護者の責任なので12歳くらいまでは親が車で登下校の送り迎えをするのが当たり前って感じでした)


このインタビュー内でMikaは、学校に行かない代わりにBellaと、Rafaと公園に行っていた、と話してます。

なるほど!

二人とも、Grace KellyのMusic videoに、Mikaの家族、クラスの友達、と一緒に出演している方々です。

Bellaは道で出会った友人。最終的にはMikaの家に住んでいた。

Rafaはレバノンの戦禍、飛んできた爆弾の破片で片目の視力を失いました。

このエピソードを彼女自身が話している音声が、MikaのファーストアルバムLife In Cartoon Motionsの、Ring RingとAny Other Worldの曲が終わった後に収録されています。

納得!!ガテン!へぇ、へぇ、へぇ、へぇ、、。

お二人のどちらかが、あるいは二人が一緒に、Mikaを公園に連れて行ってくれていたのですね。

ママも賢い。

私、10年くらいの胸の支えが取れたような気分です。スッキリ!


その後Mikaは、ママに言われて、Allaというロシア人の先生からピアノを習うことになります。

モスクワからイギリスに来て2ヶ月しか経っておらず、英語ができない先生。

ロシア語で厳しく叱咤されたようです。かわいそう。。

実のところ先生もピアノの弾き方を知っている訳ではなくて(そうだったの?)、ロシア語で色んなことを教えてくれ、歌も歌って。

Mikaも歌うことはできて、数ヶ月後には歌の仕事を貰えていたそうです。

他にすることもなく、歌に没頭し始め、音楽の繭の中にいるような状態で一日4〜5時間を過ごしていた。

半年後にはRoyal Opéraにまで辿り着き、Georg Soltiが率いるオーケストラの巨匠と一緒に歌うことができて、シュトラウスのオペラが初の仕事となった。

こんな風に突如、劇場に足を踏み入れると、David Hockneyの舞台セットに、Mikaの蝶ネクタイなんかよりももっと馬鹿げたような服装をした人達がいて、

Mikaは、あぁ、ここでは誰も他の人のことをからかったりしないんだ、と思ったそうです。

しかも仕事があって、お金をもらえる。大した額ではなかったけれどママと受け取ったそうです。

少なくともお金を払ってくれるのだからと。


もう学校には戻りたくない。この仕事がしたい。

(ん?なんだか千と千尋の神隠しのようですね。「ここで働かせてください!」張りの意気込み。すごい。)

仕事をするためにはオーディションに受からないといけない。

日本語、ロシア語、ドイツ語の歌を、何も分からないまま、全てを理解して練習していた。

(Mikaらしい言い回しですが、なんだか分かるような気がします)


こうして少しずつ具体的になって行き、

このまだ幼い頃に、チューインガムのCM、キッチン用品、BBC、Channel4、British Airways等のCMをやることになったのだそうです。

家族でBAに乗った時にMikaの声が流れてきた時は、相当な達成感に満たされ、それはラジオで自分の曲が流れてきた時よりも勝る程だったとのこと。


BAに関してはMikaが困ったことがあって問い合わせの電話をかけた時、保留音に自分が歌っているコマーシャル用の歌が流れてきて気まずかったというエピソードも聞いたことがあります。

面白い。

ファンの人達はこのCM音源を聴いてみたくて仕方ないのですが、なかなか発掘されないのですよねー。


<Present(現在)>

Telethonを引き受けた理由

単純に、Telethonも、そしてGenethon(遺伝性難病に対する遺伝子治療のための取り組み)も素晴らしく、奇跡のようなことだから。

可能性を信じる力。

30年前には治療方法がない、不可能だと言われていたことが可能になること。

この番組の放送に先立って会ってきた、患者さん、医者や研究者には、人の温かさを感じたそうです。

ジェームスボンドのような、難しい問題に直面する感じとか、リサーチャーは人の目を見れない、怖くて、得体の知れない感じとか。

私たちは何も理解できないだろうけど、でも、それだけじゃなくて、Genethonに入ると人間の温かさ、コミュニケーションを取って共有したい欲望も感じた。

リサーチャー同士、別のチーム、家族、子供、親、との直接的なコンタクトがあって、この心臓の鼓動が力強くなって、Telethonのようなことを長年できるのだと、それが力強いものだと証明しているように思えた。


インタビュアーの方は、Mikaがレバノンの子供や、学校のいじめ、同性愛嫌悪のためにUnicefに関与していることにも触れてました。

Mikaはとにかく、人は証言を聞いて心が揺さぶられると、話を聞き、共感して、自分の腹の中から自然と出てくる反応から全て始まるんだ、というようなことを言っていると思います。

政治的なことではなく、ごく自然な人間としての責任で、人によって方法は違うものだと。

ちょっとこの辺り、難しいやりとりでした。


<Future(未来)>

41歳になって、アルバムは6つあり、何百万も売り上げてますが、今のMikaはこれからやってくる年に、どんな夢を抱いているか。

何百万のアルバム売り上げというものは意味を持たない。

これを強調するのは、それを否定的なものとして見ていないからで、むしろ一種の、かなり解放的なものとして捉えているから。

アーティストの特殊性があることが重要。

これからは各アーティストの独自の言語が重要になります。ステージ上、音楽、舞台設定、語る物語等の言語。

どうやって好奇心を持ち続け、創造性を養い続け、物事を組み立てるのか。

以前の売り上げのシステムはもはや存在しないため、1曲で何億回も再生されるアーティストから何かを得ることができるということ以上のものは、誰が知っているのか分からない。


私達が信じられるものにヒューマニズムがあり、僕が好きなものに美の哲学がある。

何か美しいことをしようと、少なくとも一度はただ本当に美しいものを達成したいと願っているが、まだそうなっていないような気がしていて、まだそこに到達できていないので、この挑戦はその旅、道だ。



以上、だんだん難しい話になっていって、うまくまとまらなかったと思いますが

なにか少しでもMikaを理解するヒントになれば幸いです。