報われないことが

殆どかもしれない、愛。


だけれどちゃんと愛さなければ

皆、愛が何かを知らないままに

なる。


大切にされた記憶は子へと

繋がっていくから、


報われないことを恐れずに

縁ある者を愛すればいい。


フッと思い出したあの子は

遠くで家庭を築き、

幸せそうに子供を抱いている。


あなたを育てたことは私に

とっても幸せだったという

ことです。


笑顔溢れるあなたを見て

私も心が温かくなったから。


私のことも愛してくれて

ありがとう。


必要としてくれてありがとう。






私として生まれた自分の人生の輪廻はあらかじめ決まっており、幼少期から一番を取らなければ家から追い出される、という強迫観念の中で生活をしていました。

父と母は仲が良いとは言えず、父は「家を健全に守るのは妻の勤め」という概念の人であり、母はそんな父を恨んで高齢期には「お金」への執着しかなくなりました。

母に言われた事で死を望んだ事がある。

「あんたなんかいない方が良かった。あんた程嫌われてる人はいないわ。あんたなんか嫌いだわ!」と統合失調症の診断が出る頃の、凄く辛い時期に罵られ生きる気力を失くした事がありました。

外の世界では軽く言った自身の言動や発言のいい加減さを細かく細かく正され、見下され、嫉妬深い人間に囲まれ、筋のとおらない頑固な人や無理解な環境が人生100歳と考えると半分くらいの年月を占めました。ほぼこのパターンの繰り返しが私の人生の輪廻です。

全てが自分で回っている因果応報だと世が言うのならば、生きられない程病むでしょう。私は心療内科に対し「殺してください。こんな事を繰り返す人生は耐えられない。」と訴えました。人の罪を生きているのか、私の全ては欠点や罪しか無いのか、自分は誰なのか、全てが分からなくなりました。

私の名前を呼ぶ人は誰もいなくなり、誰とも会話の成り立たない環境で今も生きているだけです。

母から掛かる電話は毎日に近いですが、毎回人格や声が違うので誰と会話しているのか分からずその事を何度伝えても治りません。

有名な方が言っていたある言葉を思い出します。

「会わなければ分からない、でしょう?」と。それは私が曾て言っていた事でもあります。本人から醸し出される雰囲気や声、姿、空気、魂全ては本人独特のもので会わなければ分からないもの。

私は人の成り済ましにずっとストーキングされていて、拒否すると成り済まされた本人にそのまま「こんな風にいっていたから、合わないと思う」と伝えられます。会う前に人間関係が壊れているのです。

または人前では私を褒めたり仲の良さをアピールしますが、二人になると「別れよう」や、暴言、暴力、裏切りにあいます。怒りの誘発や挑発をされ、精神的にギリギリだったりすると私は狂い、暴れるみたいな事になります。それを「自業自得」にされるのは絶対的に納得がいきません。特に母は完全犯罪を狙う極悪人です。


私は孤独の他に道がないようです。


私には普通に生きる人権がありません。