敬愛するカズオ・イシグロの小説、映画化、楽しみにしてはいましたが宣伝文の印象がなんだかサスペンス風味だったので心配しつつ。


……杞憂でした!


風景といい音といい、決して未来ではない世界をたんたんと忠実に、それはもういっそ残酷なくらいに美しく、再現していて。こども声の歌って原則としてルール違反なくらい切なさを感じさせるものではないかと思いますが、あの特殊な学校ヘールシャムの校歌をみんなが歌っているシーン……ぐっとくる。


確かに一部エピソードをはしょりすぎて原作未読だとわかりづらそうな箇所があったし、原作で私がいちばん引きこまれた終盤ちかくの「マダム訪問」はせりふの破壊力がそれほどでもなかったけど、気づいたら涙が出るほど揺さぶられている映画。いのちは、神秘の向こうに隠しておくべきだったか、研究してよかったのか、よかったはずだけど、はずだけど。


私たちは死をたべて生きているなあ。と改めて思わされました。医療にかぎらず、ふだんのごはんだって。お肉もお魚も、お野菜も収穫される直前までは生きていたもの。この生は他の死のうえに成り立っている。


著者の来日インタビューで「なぜ彼らは運命を受け入れるのか、あらがえばいいのにと訊かれたけれども、これはおそらく私の日本人の部分なのだろう」というような言葉を見ました。住職である伯父によれば、西洋の価値観では人間をつくる前に神様が世界を整えておいて下さった=自分たちが住みやすいようにつくられた世界だから動物をたべるのは当たり前で、食前のお祈りは神様この食事をありがとうという感謝であると。それに対し、仏教では生命をいただくっていうほうに着目しているから「いただきます」と挨拶するのだと。今すごく大ざっぱに書きましたが。他の死のおかげで生きている自覚、ということに強引につなげたかったので。


しかし本当に、さびしく、美しく、悲しく、得がたい作品にめぐりあったものです。