驚きました、でもよく考えればテレプシコーラも「問題意識てんこ盛り」だったのだわ。


山岸凉子『黒鳥 ブラックスワン』(白泉社文庫)


短篇漫画が4つ。裏表紙には「女の情念と心の奥底に潜む闇を鋭く描写する」と書かれており、それはたぶん実際そうなんですけれども、私はそれらの苦しみや悲しみ、憎悪といったものを「女」というところに集約するんではなく「彼女たちに代表される、生者」くらいには広く捉えてもらいたい気がします。


目立つのはジェンダーの枠の中で身動きとれなくなってる妻とか、女の子なのにと責められて育つ娘ですが、自分の罪深さに無自覚なまま妻を追いつめる夫、配偶者じゃなく息子に期待をかける母と共依存の状態で過ごす少年、ほぼすべてのキャラクターに山岸先生の容赦ない観察眼が注がれているような。特に3番目に収録されている『緘黙の底』は……ちょっと言語化できないくらい、息がつまりました。


図書館で気になりつつ読めないまま卒業した『魂の殺人』、これお粗末な図書館ではミステリの棚に並べてあるそうですが、きちんと読めばよかったなあ(区立図書館の本は今もさわれないので)。


未婚の私がさえずっても嘲笑されるだけかしら、理想は、夫もしくは稼ぎ手が経済力を理由に他の家族構成員を支配したりしない、妻もしくは家政にかかわる者が決してアンペイドワーク=無価値なんて言われないし言わせない、それでいてお互いが権利ばかり主張することなく、いたわりあい、安らいでいる。家事は定年もなく、まじめにやろうと思ったら本当にくたびれるのに、意識される機会がとても少ないと思います。深く考えられないまま、とりあえず女に任せとけ、みたいなのは残酷。男女同権といわれて立場がいくら対等でも、体力的にどうしても不平等なのだから、そこは性別によりかからないで個別に思いやれればいいんだけど。


ともあれ、この流れは山岸先生強化月間か。