フィクションに逃げこむことにしました。時間かけて浮上します。


借りてきたDVD、最後の1枚は成海璃子ちゃん主演の映画『あしたの私のつくり方』です。前に予告編か何か、見たことがあって、いじめられっ子だった同級生に匿名でメールを送る少女の物語らしいということは知っていたのですが、これもまた観ていなかったのでした。


主人公の寿梨(じゅり)は小学校から高校まで、家でも学校でも無難な地位を保ちながらそれが「役」だと知っている女の子です。クラスの人気者からハブへと転落する子がいる世界において、どうすれば浮かないか、いがみあってばかりの両親のかすがいにはどうすればなれるのか、ずっと考えている子。グループには所属しているけど表面で仲良くしているだけだから親友はいない。離婚して母と生活することになってからは「ママが安心できる娘」を演じている。


でもそれは、ぜんぶ「偽物のジュリ」なのだと割り切っている。


小学校の卒業式の日、図書室で寿梨は転落していじめられっ子になった花田日南子(かなこ)と「……ひとりだと無視しないんだね」「……ごめん」「……いいよ」とぽつりぽつり話します。偽物の自分のこと。本当の自分はべつにいるのだということ。日南子はいいます。「似た者どうしだね」。


時は移ろい、寿梨は高校生になり、中学校でもいじめに遭っていた日南子は転校してあすが初めての登校日という、その夜。


寿梨→コトリ。

日南子→ヒナ。


ジュリはコトリとしてカナコにメールを送ります。題して「ヒナとコトリの物語」。そこにはどうすればクラスに溶けこめるか、どうすれば自分を守れるか、ことこまかに記されていました。そのストーリーに忠実に従い、転校先で人気を獲得するカナコ。


でも、それもやっぱり「役」でしかないわけです。クライマックスで静かに涙を流すジュリにもらい泣き。


本当の自分とか、自分さがしとか、一時期はやりましたが、あれが私は嫌いでした。逃げてると思えたから。かっこ悪い自分も弱い自分も「本当の自分」とやらの一面であって、みんなが求めてる「本当の自分」みたいな完璧な球体は存在しないんでしょうといらだったのでした。みんな欠けたりこすれたりして多面体になって、それでいろんな方向に光を反射するんだと。それが個性なんでしょうと。


ラスト、きりりと前を向いて歩いていくジュリの姿が、今後すべてを受け入れてしなやかに強く生きるのであろうという予感を抱かせて、神々しかったです。


監督は市川準氏、脚本は細谷まどか氏。両氏ならびにこの作品の制作にたずさわったすべてのスタッフ、キャストに「この映画を観せて下さってありがとうございます」と伝えたいです。さあ次は私が。時間かかっても浮上できるかな。