欠勤の続いておりますリンゴです、こんばんは。


でもきょうはあかるい話題で書きますね!


きのう、病院の帰り、駅前で路上ライブの準備をしているお兄さんたちがいたんです。若いお兄さん、2人。ギターをこう肩から斜めにかけて。なんとなく気が向いて、演奏が始まるのを待ちました。ガードレールに小さな黒板がかかっていて「遊吟」と読めました。


それが運命。


技巧的なことは全くわからないけれど、まっすぐ響く声、正確な音程、心の底まで滴り落ちる歌詞、楽しんで歌ってることがほんとによくわかる笑顔。いつしか私も周りの聴衆といっしょに手拍子なんかしていたりして。


終盤でお兄さんの1人が言いました。


「次に歌う曲は……えーとですね。僕は昔、友達を亡くしてしまったことがあって。その友達には大切なひとがいたんですが、お葬式で、その大切なひとにかける言葉を僕は思いつきませんでした。家に帰ってから、亡くした友達や遺されたそのひとのために自分は何をしてあげられるんだろうって考えて。曲をつくることだって思って、それでつくったのがこの曲です。空の君へ、と、いいます。聴いて下さい」


元気でいますか、で始まるこの曲。君を亡くしてから3度目の秋がめぐってくる、というあたりで、雑踏の中にもかかわらず私、泣いてしまいました。涙を手で拭えなくて、鞄からタオルを出して顔にぎゅうっと押しつけて。友達を亡くすということがどれほどの痛みを伴うものか、身をもって経験した人の語りかけるような歌声に、7年前の春のMちゃんの死そしてその死に対してひたすら無力だった自分の情けなさ、苦しさの穴から引っぱりあげてもらうような、そんなありがたさを感じました。


喪失感に打ちひしがれるのではなく、自分にできることをみつけられた強さ。


私はしろうとですから勝手な憶測を述べますが、そういう強さが音楽性にも反映されているんじゃないでしょうか。だからこそのあの人垣であり、ライブ終了後の「握手して下さい!」「写真とって下さい!」の嵐であり、あい○りの主題歌(歌ってるらしいです)なんじゃないでしょうか。


ラストで歌われた「テノヒラ」は涙でぐしゃぐしゃになった顔が「ああ私、ほほえんでる」とわかるくらい元気になれる曲で、演奏後は拍手喝采。誰かが「ブラボー!」と叫びました。


きっと、この遊吟の歌を聴くために私は病院へ行く必要があり、その前段階として不調の波が襲ってきてたんだと20%くらい本気で思うほど、このひとたちの音楽にふれることができた幸運に感謝しています。じつはさっきア○ゾンで検索して先月リリースされたミニアルバム「テノヒラ」(もちろん「空の君へ」も収録)をカートに入れました。買い方がよくわからないのであとで母に訊くべく、まだ注文はしてないのですが。


だいじょうぶ、だいじょうぶ。音楽をすばらしいと思える感性が残っている私はちゃんと生きられる。


……ていうかMちゃんが亡くなったの、もう7年3ヶ月も前のことなんだ。全然、色あせない。告別式で流れたミス○ルの声が耳をふさいでもくっきりと聞こえてくる。乗り越えられなければ失敗とか、そんな次元の話ではないけど、いつか私もMちゃんに胸を張って渡せるような何かをつくりたい。Mちゃんに恥じない生き方をしようと、しゃきしゃき動けるようになりたい。今の体力では復職はまだ無理と診断されてしまったけれど。なんらかの形で。