工藤绫 -10ページ目

工藤绫

工藤绫

招待

昼過ぎ。 自室のベッドに転がって、昨日滝沢にもらった、 痴漢対策の資料に目を通す。 長い文章を読む気分ではなかったけれど、 今日は特に予定もなかったし、 メールでの話題になればと思って読み始めたら、 これが、ことのほか面白くて。うなずいたり、感心したり。

なにぶん量が多いので、ひと区切りついたところで、滝沢にメールを送る。 明日から、実践してみます。少し遅れて、返事。滝沢も、 インターネットをしながら、暇をつぶしているとのことだった。 お互いに時間があると分かると、また、会いたい気持ちが湧いてくる。 メールさえもじれったい。

時計を見れば、一時半にもなっていない。 せっかく、この家の場所が分かったのだ。 ちょうど両親も出かけていることだし、今から誘ったら、来てくれるだろうか。 メールからの情報では、滝沢の家から友花里の家まで、 移動だけなら、一時間もかからないはずだ。

ただ、いきなり誘うのも気が引ける話で、何か口実が欲しいところではある。

そして、口実は、あった。あの、エルメスの、カップ。 滝沢は昨日、使う機会がなくて、そのままになっていると言っていたのだ。

(よし、いける)

思い切って、電話をかける。

「あ、どうも。どうしました」

いきなりで、びっくりさせてしまったかもしれない。 滝沢の声は少し、慌てていた。

「突然、すみません。今、お時間大丈夫ですか」
「はい。はい。全然、大丈夫です」

本当は忙しくても、滝沢ならそう言いそうな気がした。 ただ、せっかくの休日の午後は、無限ではない。 友花里は、慎重に、話を切り出すタイミングを計る。

まずは、昨日の話から。送ってもらったことの、お礼とお詫びはしっかりと。 そして、別れた後のこと。今日、起きてから今まで何をしていたか。 痴漢対策のことも、改めてお礼を言って。 この後、滝沢に用事がないことを、もう一度確認する。

そして。

「そう言えば、カップがそのままだって言ってましたよね」
「え。カップ」
「ほら、エルメスの。使ってないって」
「ああ、はい。はい。そうです。すみません」

また謝っているし。

「よかったら、今からうちに来ませんか。ちょうど暇してたんです」
「え。今から、ですか。迷惑じゃありませんか」

なんだか、腰が引けている。 やっぱり、女性の家を訪ねることに、抵抗があるのだろうか。

「今、わたしひとりですから。うちの両親、夜まで出かけてますし、大丈夫ですよ」
「え。え。ええと」

ますます、声が小さくなってしまった。 友花里の両親との遭遇を警戒している訳ではなかったようだ。 単に面倒なだけなのか、本当は用事があるのか。 滝沢が渋る理由は良く分からなかったが、とにかく、時間が惜しい。 それに、少しくらいは、わがままを聞いて欲しかった。

「美味しい紅茶、いれますよ。駄目ですか」

友花里が、いちおう、冗談にも聞こえるように、 わざとらしく、拗ねたような声で言うと、 滝沢の返事は、早かった。

「とんでもない。ちょっと、びっくりして。すぐに伺います」
「カップ、持ってきてくださいね」

じゃあ、今から準備します。そう言って、滝沢は電話を切った。 友花里は、しばらく、携帯を耳に当てたままで。やがて、大きく息を吐く。 自分のことながら、思っていた以上に、緊張したらしい。 少し、手が震えている。それでも。

(やった)

小さくガッツポーズ。滝沢が、来る。

そうと決まったからには、のんびりはしていられない。 着替えて、化粧をして。 お茶請けには、昨日、母親が焼いたマフィンを出そう。 それから、生地が残っていたはずだから、今からスコーンを焼いて。 ジャムはある。生クリームは、冷蔵庫にあったかな。

「あ」

手早く、着替えと化粧を済ませたところで、 友花里は、ようやく気づいた。

夜まで誰もいない。これは、考えてみれば、すごい誘い文句ではないか。 いくら滝沢だって、驚くだろう。思わず、声に出して、笑ってしまう。 もし、勘違いさせてしまっていたら、申し訳ないことだ。

(でも、それならそれで、いいかも)

足取り軽く、友花里は部屋を出る。

午後の紅茶

「どうぞ、かけてください」

居間まで通したところで、さっそくイブキにじゃれつかれて、 律儀にその相手をしてくれている滝沢に、ソファを勧める。

「今、お茶をいれますね。紅茶とコーヒー、どっちにしますか」
「ええと。紅茶を、お願いします」

つい聞いてしまったけれど、コーヒーと言われたら、 困ってしまったところだ。 サイフォンはあるけれど、友花里自身は、 普段はコーヒーを飲まないから、豆の量など、勝手が分からないのだ。 ひとまず、ほっとする。

滝沢から、カップを受け取る。使われた様子どころか、 箱から出された形跡すらない。

「本当に、そのままだったんですね」
「うちは、緑茶しか飲まないので」

じゃあ、湯飲みの方がよかったですか。そう聞くと。

「いえ。これは、飾っておきます」

そう言って、滝沢は笑った。いつも会うときよりも、くつろいだ様子。 ただそれだけのことで、友花里は嬉しくなる。

「温めてきますね」

カップを持って、キッチンへ。 軽く洗って、水気を切り、ティーポットとともに、 沸かしておいたお湯を注ぐ。それから、残ったお湯を捨てて、 冷蔵庫から取り出した、ミネラルウォーターを火にかける。もちろん、軟水。 お湯が湧くまでの間に、いろいろと準備。 居間を覗くと、滝沢はイブキの相手をしてくれていた。

お湯が沸いたところで、まずはポットを、 スプーンや皿などと一緒に、先に運んでおく。 滝沢の好みが分からないので、茶葉は、缶をいくつか出して。 ダージリン、セイロン、キーマン、アールグレイ、ラプサンスーチョン。

「好きな葉とか、ありますか」
「紅茶は、午後の紅茶しか飲んだことがなくて」

困らせてしまった。 まあ、普段飲まない人なら、そんなものだろう。

「じゃあ、ダージリンかな」

無難なところにしておく。 一瞬、魔がさして、ラプサンスーチョンにしようか迷ったけれど、 いくらなんでも、紅茶初心者の滝沢相手には、悪ふざけが過ぎるだろう。 久美子に出した時みたいに、イブキを人質にとられて、 お詫びとして、無茶な要求をされることはないだろうけれど。

ポットにお湯を注ぐと、葉が踊って、お湯がさっと紅く染まる。 陶器製にくらべて、保温性に劣る印象があるけれど、 グラスポットの最大の利点は、こういう視覚的なところにあると、 友花里は思っている。

あんまり鮮やかに色が変わるので、すぐにでも飲めそうに見える。 しかし、紅茶は渋味が先に出るから、美味しく飲むためには、 少し長めに蒸らさなくてはならない。 そのことを滝沢に告げて、友花里は、一旦、キッチンに戻る。

「これ、昨日、母が焼いてくれたんですけど」

マフィンやスコーンを乗せた皿をテーブルに並べながら、しかし、 スコーンは自分が焼いたということは、 滝沢が過剰にほめてくれる様子を想像したら、 気恥ずかしくて、言いそびれてしまう。 気合を入れた料理ならともかく、スコーンくらいで感心されたら、 逆に、寂しいような気がして。

滝沢に手料理を食べてもらうのは、いつ頃になるだろうか。 そんな想像も、楽しい。

ちょうど良い蒸らし時間は、身体が覚えている。 適当な頃合で、友花里は再びキッチンに戻り、カップを持ってくる。 テーブルに並べながら、このカップのおかげで、 今のふたりの関係があるのだと思うと、 友花里の胸には、感慨深いものがあった。

(あとは、ミルクと、お砂糖と)

忙しく動き回りながら、友花里は、 小さな幸せを、かみしめる。

豊かな沈黙

紅茶の話。お菓子の話。休日の過ごし方。犬の話。ペット論。

いろんな話をした。滝沢の質問は、珍しく、 友花里のプライベートに踏み込んだものが多かった。 それは、決して不快なことではなく、 むしろ、これまで、あえて話すような機会のなかった、 取るに足らない、些細なことまで、滝沢が興味を向けてくれたこと、 知ってもらえることが、友花里には嬉しかった。

外で会う時とは違って、時間を気にする必要がなかったからだろうか。 時々、沈黙が降りる。お互い、一言も発することなく、ただ、時間だけが過ぎて。 そこには、違和感も、気まずさもなく。あるがままに。

滝沢の影響で、友花里も、パソコンを買おうと思っていることを伝えると、 その時ばかりは、滝沢は、子供みたいに目を輝かせて、本当に楽しそうに、 色々なことを教えてくれた。 友花里には、滝沢が言うことの半分も理解できなかったけれど、 ひとまず、メールとインターネットができれば十分ということで、 次の機会に、買い物に付き合うことを、約束してもらう。

普段、滝沢は、あまり、友花里の目を見て話をしてくれない。 大事な話をする時は、頑張ってくれるけれど、普通のおしゃべりになると、 すぐに、ふらふらと、目をそらしてしまうのだ。

それだけが、友花里は、いつも、残念だったのだけれど、 今日の滝沢は、少し違っていて、会話が途切れると、友花里の目をまっすぐに見て、 静かに微笑んでくれるのだった。無理をしている様子もなく、本当に、自然に。 滝沢自身にしてみれば、友花里の家に招かれたことによる、 些細な心境の変化に過ぎなかったのかもしれない。 その自覚があったのかすら疑わしい。それでも、 何が友花里の心に響いたのか、背筋が泡立つような、静かな幸福感に、 わけもなく、声を上げて泣きたくなる。

天気の良い、日曜日の午後。時間が、ゆっくりと過ぎてゆく。

「そろそろ、親御さん、帰って来ませんか」
「そうですね」

滝沢に言われて時計を見ると、確かに、もうそんな時間だった。

「まずいですよね」

本当に心配そうな顔。いつもの、滝沢だ。 これはこれで、ほっとする。

「大丈夫ですよ。うち親には、滝沢さんのこと、いっぱい話してありますから」
「え。そうなんですか」
「週末によく会っていることとか。今日呼ぶことは言ってませんけど、 別に、家に呼んだくらいで怒ったりはしませんよ」

滝沢を見て、両親がどんな感想を抱くか、友花里は興味があったけれど、 明日は平日だし、なにより、滝沢の居心地が悪そうだったので、 無理に引き止めるつもりはなかった。 取り急ぎ、カップを丁寧に洗って、箱にしまい、滝沢に返す。

「駅まで送りますね」

友花里がそう言うと、滝沢は、急に真面目な顔つきになって、きっぱりと、断った。

「駄目です。帰りが、危ないですから」

(仕事の帰りには、いつも、普通に、ひとりで通る道なんですけど)

そうは思ったものの、滝沢の心遣いが嬉しかったので、おとなしく従うことにした。 家の前まで出て、そこで、お見送り。

この日、ひとつだけ、悔やまれることがあったとすれば、 それは、ずっと機会を見計らっていたのに、 隣に座りたいと、ついに言い出せなかったこと。

(結構、いい雰囲気だったんだけどな)

自分もたいがい、肝心なところで臆病なものだ。友花里は肩をすくめ、家の中に戻った。



Hermes : 5月04日(火)

久美子と城之内

大型連休を利用しての旅行を終えて、友花里と久美子は、五日ぶりに日本の地を踏んだ。 成田から、都内まで移動したところで、ふたりは、久美子の彼氏、城之内と合流する。 家までは、彼の車で送ってもらうことになっていた。

「ふたりとも、お疲れ様。楽しんできたかい」
「おかげさまで。遠いとこ、わざわざ、ごめんねえ」

城之内の前に立った途端、つい先ほどまで、旅行疲れと時差ぼけで、 だるい、しんどいを連呼していた久美子に、鮮やかに生気が戻る。 流石だ。常々、恋愛は活力だと、力説しているだけのことはある。

「どうも、お久しぶりです」

友花里は、前に二度ほど、久美子の付き添いで、城之内と顔を合わせている。

「やあ、友花里ちゃん。クミの引率、ご苦労様でした」
「なんだよ、それ。ていうか、わたしの友花里を、ちゃん付けで呼ぶな」
「痛。痛。こらこら、落ち着きなさい」

目の前で、微笑ましくも、羨ましいやり取りが展開される。

面白いのは、久美子は城之内のことを、友花里の前では、 一貫して、苗字にさん付けで呼んでいること。 本人曰く、のぼせて馬鹿になってしまうから、 ふたりきりの時じゃないと、名前では呼べないのだそうだ。 それから、呼び慣れるのがもったいないとか。

のぼせて馬鹿になる。

(昇。昇。昇)

ああ、なるほど。分かる分かる。

城之内は、細身ながら筋肉質な体格で、滝沢よりも背が高い。 歳は、三十代前半と聞いている。会話も快活で小気味良く、 何につけても、そつがない。周囲への気配りも利く。 友花里の印象としては、頼りがいのある、大人の男性だ。

遠慮する暇も与えず、友花里たちの手から素早く荷物を受け取って、 トランクに放り込む手際など、実に、見事なものだった。 しっかりしているようで、その実、甘えたがりの久美子にとって、 城之内は、申し分のない相手と言える。

しかしながら、ちょっと図々しい仮定ではあるけれど、自分の相手として見た場合、 城之内は、友花里にとっては、あまり心を惹かれる存在ではなかった。 と言っても、別に、城之内自身に問題があるわけではない。

過去の自分を振り返ってみれば、恋愛に限らず、他者との交流において、 自発的に相手を求めるよりも、求められ、応えることにこそ、 喜びを見出していたように、友花里は思う。

そんな友花里にとって、おそらくは、自分の助けなど必要としないであろう、 城之内のような男性は、本質的に相似であり、喩えるなら、磁石の同極だった。 ある程度の距離を置いている限りは問題ないけれど、 どちらかが深く踏み込んだ時、反発が起こることは、容易に想像できた。 そういう意味で、城之内は、最初から、恋愛の対象とはなり得ないのである。

ならば、滝沢はどうか。 彼が友花里に対して好意を寄せてくれていることは、いまさら、疑う余地はない。 そして、若く、未熟で、不器用な青年は、友花里の母性と保護欲を刺激し、 精神的な居場所を与えてくれた。だから、友花里は滝沢に惹かれたのだと思う。

しかし。

相手の好意に応えたいという気持ち。自分が必要とされることへの喜び。

これらは、博愛の精神ではあったけれど、見方を変えれば、変質した自己愛に他ならない。 誰かに必要とされることで、自分の存在価値を、確かめてきただけなのかもしれない。 事実、友花里自身に、相手から必要とされている実感が失われた時、 その関係は、たちまち収束してしまう。例えば、五年前の、あの時のように。

もし、そうだとしたら。

滝沢への感情の根底にあるものが、自己愛の投影に過ぎないのだとしたら。 彼への想いは、錯覚に過ぎないのではないか。 結局、自分は、依存されている状態に依存しているだけで、心から、 誰かを好きになることなど、できないのではないか。

メールさえも届かない、五日間の空白は、ここに来て唐突に、 友花里に、その胸の奥に押し沈めたはずの古傷の、 自覚していた以上の大きさと、深さと、痛みを再認識させた。 あの失敗は、単なる失恋として片付けられる問題ではなく、 友花里の人間的資質に対する、重大な指摘を含んでいたのだ。

「それじゃあ、そろそろ、行きますか。ふたりとも、後ろかな」

明るい声で、城之内が、久美子とのじゃれ合いを打ち切って、言った。 友花里は、現実に引き戻される。

「ううん、久美子は助手席に乗りなよ。久しぶりなんだし、ゆっくり話もしたいでしょう」
「そう。えへへ。気を遣わせちゃって、悪いね」
「なんの、なんの」

友花里の言葉は、まったくの方便でもなかったけれど、 なにより、友花里自身、滝沢と連絡を取る前に、ひとりで考える時間が欲しかった。

友花里たちを乗せ、城之内の車が発進する。

メール

一時間ほど走ったところで、時間とともに増大する不安に耐え切れず、 友花里は、考えることをやめた。旅行の疲れもあったのだろうけれど、 頭がうまく働かなくて、どんどん悪いほうへと、考えが流れてしまって。

前の席では、久美子と城之内は、いかにも恋人同士らしく、盛り上がっていた。 とても自分が割り込める雰囲気ではないと思い、友花里が、手持ち無沙汰に、 携帯を取り出していじっていると、信号待ちで、久美子が振り向いて、言った。

「あ、また読んでる」

そのとおり。旅行中も、しょっちゅう読み返していた、滝沢からのメールだ。 受け取ってから今日まで、十日ほどの間に、それこそ、何十回となく。

『友花里に彼氏がいないのは、周りの男に見る目がないから』
『友花里は、自分にとって、とても魅力的な女性だ』
『今度、直接会って、言いたいことがある』

ほとんど、友花里の誘導尋問だった点で、若干の不安は残るものの、 必要な言葉は引き出したつもり。 後は、直接会って、お互いの気持ちを確認するだけだった。

「お。なんの話」
「城之内さんには内緒。わたし、後ろに行く。ちゃんと信号見てろよ」
「了解」

城之内は、特に気を悪くした様子もなく、前に向き直る。 シートベルトを外すと、久美子は、素早く車を出て、後部座席に移った。 久美子がドアを閉めると、カーステレオの音量が上がる。 城之内が、気を遣ってくれたらしい。

うまいと思った。些細なことではあったけれど、素直に、感心する。 久美子と目が合うと、友花里の考えていることが分かったのか、 運転席の城之内をちらりと見て、それから、どうだ、とばかりに笑みを浮かべた。 さすがに、十年も付き合っていると、以心伝心も熟年夫婦の域だ。 うんうん。いい人見つけたな。

「それで、次会うの、今週末だっけ」
「今のところ、そのつもり」
「いよいよだね。やっぱり緊張するか」
「ううん」

緊張は、あまりない。滝沢の気持ちは、既にメールではっきりと分かっていたから。 当座の問題は、その先の、別のところにあるのだけれど、今はそれを、 久美子に相談する気分にはなれなかった。自分の中で、整理がついていない。

「しかし、いまどき、本当に奥手だね、滝沢さん」
「そこが可愛いんだから、いいの」
「今はそう言ってられるかもだけど。これから先も苦労するぞ、きっと」
「うん。それは、なんかね。でも、しょうがない」
「先に惚れた弱みってやつですか」
「そういうこと、かな。どうだろう」

そんな、軽口を叩いていたら、久美子が急に黙り込んでしまった。 どうしたんだろうと思って、そちらを見ると、 久美子は、難しい顔をして、友花里の目をまっすぐ覗き込んで来た。

「あのね、友花里。わたし、あの時、自信を持てって、言ったよね」

友花里は、黙ってうなずく。 滝沢との、二回目の食事の時の話だと、すぐに分かった。

「もし、今から言うことが、全然見当違いだったら、謝るけど」

口調が、すこし、厳しい。

「あれはね、滝沢さんの気持ちのことを、言ったんじゃ、ないからね」

その張り詰めた様子に、友花里は、息を呑む。嫌な、予感がした。聞きたくなかった。 久美子が何を言おうとしているか、多分、友花里にも、分かっていたから。

「蒸し返されるのも嫌だろうと思って、ずっと、そりゃもう、ずうっと、 言うの我慢してきたけどさ」

前を向いて

「あんたは、すごくいい子だけど、時々、お人よしが過ぎるの」

久美子は、友花里の手を取って、しっかり握りしめると、静かに、話し始めた。 言葉のひとつひとつを、確かめるように、ゆっくりと。

「あんなやつの言うことなんか、真に受けて。全部ひとりで背負い込んで。恨み言も言わないで。 もう、何年も経つのに、まだ引きずってる。愚痴のひとつだって、聞かせてもらってないよ」

友花里は、答えない。

「いい、友花里。普通はね、常識で考えたら、どんな言い訳をならべたって、 絶対に、絶対に、絶対に、絶対に。浮気したやつが悪いに決まってるの。 あんたが、就職活動で忙しいのをいいことに、他に女作っておいて、 それを、ぬけぬけと、あんたのせいにするような、あの馬鹿がおかしいの」

友花里は、何も、答えることが、できない。

「あんたは、なにも悪くない。なんにも間違ってない。 一生懸命だったよ。本当に、一生懸命、恋してた。 わたしは、ちゃんと、見てたもの。すごく、キラキラして。羨ましかった」

少しだけ、懐かしむように、久美子は、目を細める。 けれど、その表情は、すぐに、曇って。

「あいつと別れてすぐの頃のあんたは、笑っていても、空っぽで、見ていて辛かった。 突然、一方的に関係を切られて、心が壊れそうになるくらい、本気だったんでしょう。 それなのに、自分の気持ちを、無理やり押さえ込んで。平気なふりをして」

そう言って、目を伏せた久美子の声には、次第に、苛立ちの色がにじむ。

「あの頃、あんたが、いい加減な気持ちで付き合ってたなんて、ありえない。 あいつに、そんなことを言う資格なんて、ない。絶対に、ない。 わたしが、認めない」

肩を震わせながら、そう吐き出した久美子は、泣いていた。 泣きながら、怒っていた。

「告白してきたのは、向こうだったかもしれないよ。 でも、あんただって、真剣に、その気持ちに応えようとしたじゃない。 ちゃんと、本気で、好きになれたって、一緒に喜んだじゃない。思い出してよ。 負い目に感じることなんて、なんにも、ないんだよ」

久美子が、その手を伸ばして、両の頬を伝う涙を拭ってくれるまで、友花里は、 自分が泣いていることに、気づいていなかった。なぜ泣いているのか、 何が悲しいのか。分かっているはずなのに、分からない。

「もう、終わりにしようよ。ちゃんと、顔を上げて、前を向こうよ。 わたし、友花里には、本当に、幸せになって欲しいんだよ。 幸せに、なろうよ」

こんなふうに泣く久美子を、友花里は、見たことがなかった。

(なんだか、愛の告白みたいだね)

久美子に、強く抱きしめられて、堪えきれず、ぼろぼろと涙をこぼしながら、 友花里は、そんなことを考えていた。感情と思考が、噛み合っていない感覚。