6月5日.
昨日の話からする.
自分はいま,生理前だ.
女性はわかる人が多いと思うが,生理前というのはいつもの自分ではいられないことがほとんどだ.
自分は元々,生理痛諸々感情的なことに関しても,生理に関する諸症状はほとんどなかったほうだ.
鬱になってからは動けなかった時から回復して以降,生理の期間が特に鬱の症状が集中するようになった.
普段からは考えられないほど,マイナスに傾く.
ここ最近は,それもあまり起きておらず,その代わりかのように痛みが出ていた.
ある日は,バイト中に腹痛,吐き気が起こり,1時間丸々トイレで蹲り,その後2日寝込んだ.
しかもこれが起こった後に生理が始まり,その時には薬が全く効かず,
痛過ぎて夜一度も寝ることができず,ずっと唸っていたくらい酷かった.
生理痛は凄く辛い.メンタルがマイナスになるのも辛い.
こんなわけで生理前から生理期間中のほぼ2週間,いろいろなものと戦いつついつもの自分を保つ.
今回は生理前,メンタルの方にきた.
それにより昨日は,簡単に言うとリストカットを行うまで追い込まれた.
自分は普段大丈夫だったことが多かった分,マイナスに傾いたときの反動が大きかったのだと思う.
疲れが痛みを伴うものだったり,目に見える症状として表に出るのはいいことだと思う.
だが今回のように,精神に来たとき自分を傷つける自分を止めることができない.
どれだけ日記にしんどいことを書き連ねたとしても,結局いつの間にか死にたいになっているのだ.
今回の場合は母と話すのが怖い,これ以上傷つくのが怖いし,今が良くなる想像もできなくて
だったらもう今終わったほうが,来世がもしあるのならそれに期待したほうがいいのではないか,
そんな気持ちでもう考えることが自殺の方に極振りしていくのだ.
自殺する人はその勢いでやるのだろうと思う.
と言うのも一旦冷静になるターンがあると,死ねない理由を探すからだ.
自分の場合は,このアニメの続きが見たい,この漫画のラストが知りたいなどだ.
でもそこまで考えが及ばないほどに絶望が大きいとき,またはそれらのようなストッパーを取り上げられたときや
ストッパーがないとき自分は絶対に死ぬと思う.
自分にとって死というのは救いなのだ.どれだけ辛くても死ねる.だからとりあえず今を生きてみる.
これが自分だ.
いいとも悪いとも思わない.でも死はいつだって自分にとっては救いだ.
自分が自殺するとき親友はショックを受けるだろうな.
ごめんな.でも出会えてよかったって凄く思う.
今書いてるのは自分がもし自殺を選んだとき感謝とか書くほど考えられるほど冷静じゃないと思うから,まぁ簡単にはバレないけど確実に見つかるところに残しておこうという遺書みたいなものだ.
まぁ察せられるように今日は特に何もしていない.
でも外出はした.父とご飯を食べた.
リスカも見つからなかった.リスカは見つけて欲しいし助けて欲しいけど,見つかりたくない.
いつだってそんな気持ちを後から持つ.
後悔とは違う.リスカをしないと保てないものがあるから.
今の自分は鬱ではない.多分.病院にも通ってないし,当時よりいくらでもなんでもできる.
それは他人の目から見たら劇的な変化なのだろうか.
自分は主観でしか見れないから,この変化はわかりにくい.
でも母にはもう治ったように見えるのだろうか.生理痛が鬱後に始まったのに気付いているのだろうか.
治るってなんだろうか.甘えってなんだろうか.
休んではダメなんだろうか.自分は意味のある存在なのだろうか.
多分自分が死んでも,周りの人の日常は変わらないんだろう.
ワシの死が美化されて,ワシが望まないから進まないとみたいになって,みんな進んでいくんだろう.
自分を置いたまま.
それに何かを思うわけではないけど,そんなものだろうし,
それくらいの価値しかないんだよ.周りの人の世界なんて変わらない.
それが現実.人間って案外強いから.
死んだら周りの人が何日か休めるかもしれない.それぐらいの価値はあるのだろうな.
これ以上書いても多分何も生まれないな.
こういう時は全てを忘れて寝るのが一番いい.
知ってる,経験上こういうことを考え始めたらもう最悪しか出てこないから.
だからTwitter見て寝るのが正解.
明日も生きなければならない.知ってる.
逃げるのにも痛みが伴うから.
その覚悟ができた時は逃げよう.覚悟ができないうちはちょっと生きる.
別の覚悟ができたら頑張ってみる.
以上