今日も一日何もせずに終わる。
Instagramで被写体をやっている女の子が自分の顔面をタイムラインに載せているのが目に入って、自己嫌悪に陥る。自分の顔を他人のスマホに出現させることができるほどの自己肯定感が欲しい。正直羨ましい。こういう子の方が人生観が前向きな傾向があり、人にも恵まれ、人間関係にもあまり悩んでないんじゃないだろうか。なんで思うが、実際みんな楽しそうでも悩みがあるもんだと数年前から悟った。家でダラダラしている私より、外でキラキラしているインスタグラマーの方が退屈だったりするんじゃないか。きっとそうだと思いたい。自分のピン写を投稿すると、見た人はきっと容姿に自信があるんだろうなと感じると思う。しかしそれは誤解である可能性があることをここに示したい。一見自信がありそうでも、実は自信がない人も多い。自分の顔を乗せることで、自信のない自分、つまり嫌いな自分。弱い自分を隠し、周りから見たら、如何にもコイツ人生楽しそうだな、的なことを感じさせておくのである。弱い自分を知られたくないからだ。それに周りがヨイショしてくれれば、自己肯定感が上がる。ちょっと盛れたかな、なんで写真を勇気を出して乗せてみる。時間が経つにつれストーリー閲覧者は増えるが反応はちっともない。仲のいい友達も見てくれているのに。あーやっぱ盛れてないのかこれ、なんて思いながら静かに消すことは多々あった。
SNS中心の生活、周りの目を基準にした美意識。
多数意見の価値観に縛られている10代は多いと感じる。それも無理はない。今この時代に生きていて、ただ歩いているだけで酷くプレッシャーを感じるようになった。私は東京生まれ東京育ちだが、マスク生活を通してよく実感した。綺麗な女性はマスクを外していることが多い。それはなぜか。自分が美しいということを根拠付けるような経験が他の者より多いからだ。マスク美人はいくらでもいるが、それに対して本当の美人は圧倒的に少ない。少数派で貴重な美人は、他のマスク美人なんかと一緒に思われるだけ損なのである。周りの男性も、あの子がマスクをとったところを見たことがあるかとか、めちゃくちゃブスだったよ、なんで会話はザルに聞くようになった。本当に肩身が狭い。目元勝負の時代で、埋没や切開で二重にする人は圧倒的に増えた。tiktokで整形外科医がビフォーアフターと、涙を流しながら喜ぶ患者を載せている動画が出てくる。人生が変わる、そりゃそうかもしれない。好きな人だって振り向いてくれるかもしれない、自分に見合う男性のレベルも上がるかもしれない。だが、整形をしたからと言ってそのような絶対的な幸せが約束される訳ではない。あくまでも整形は自己満足であり、他人に評価を貰うための行為ではないからだ。世間的な美的価値観で言うと、二重が綺麗とされているが、二重にしたからって幸せになれるとは限らない。幅を欲張りすぎて不自然すぎる目になったら本末転倒である。前の方が良かったとか、整形なんか努力じゃない、なんて叩かれる可能性だってある。私は整形をギャンブルや投資のようなものだと感じる。決して安くはないお金を払い、元を取れるか、またそれ以上の満足感を今後の人生で得られるかを試すのである。あくまで可能性が広がるだけの手段にしか過ぎない。整形に対して理想を抱きすぎるのは良くない。しかしそれを理解仕切れずに、当初の目的を失った人が終わりのないゴールを目指し続けている状態をよく見かける。周りからの評価が思ったより少なかった、そんなのは勝手に期待した自分が悪い。ただ自分の中で少しだけでも生きやすくなる、それだけで十分なのだ。