9/1は10代の自殺率が一番高い日なんだって。
イジメで自殺ってニュースを見る度、自分はよく死なずに耐えたなと思う程度には経験しているから、死んで楽になりたい気持ち、よくわかる。
4月の始業式には今年は大丈夫かな?って不安いっぱいで、少しだけ希望を持って登校しても、やっぱりか…ってすぐに失望した。
でも、まずは夏休みまではと耐えようとするんだ。
夏休みに入って少し安らかに過ごすと、辛く苦しい日々への耐性が少し減ってしまうから、学校が始まることがこの世の終わりだと思うんだよね。
イジメの加害者と部活が一緒だと夏休みの間も顔を合わせなきゃいけないから、夏休み中も一学期の続きみたいなものだったけど、それでも新しい学期がスタートする日は少し特別で、いつもよりナーバスになった。
学校が始まったらまたあいつらに会うことになる。
行きたくない。
どうしよう、どうしよう。
死にたい、消えたいって何度も思った。
でも、今ふり返ってみて言えるのは、学校は世界の全てじゃないってこと。
命をかけて臨む場所でもない。
だからね、イジメからは逃げろ!
耐えなくていい逃げろ!
勉強はどこにいてもできる。
ほとんどの大人はきっと逃げるなって言うだろう。
イジメに打ち勝ってこそ強くなれるとかバカなことを言う人もいるだろう。
でもそんなのはイジメられたことのない人間の戯れ言か、正義感に溢れたお花畑な脳みその持ち主か、メルヘンな理想主義者だよ。
経験上、イジメと戦って勝つ勝率は0に近い。
卒業して加害者と離れることでイジメから解放されるっていうのがほとんどだと思う。
イジメられて苦しんだ経験や記憶は大人になっても心を蝕み続けて、様々な場面で障害として立ちはだかるから、そんな経験しなくていい。
よく、学校の責任は~、担任の対応は~、って騒がれるけど、学校がイジメを解決できると思っていることが不思議でならない。
誰かの責任にしたいんだろうけど、責任を問うなら学校や担任よりも加害者の親や加害者の人間性に最も影響を与えた人に対してだと思う。
学校の先生はイジメを解決してはくれない。
表面上整ったように見えるようにするだけで本当の解決には至らない。
なぜなら、イジメ=生徒同士の喧嘩や仲違いの延長と思っている教師が多くてイジメ被害者の状態を正しい方向で理解出来ないから、お花畑な先生に当たると「両者の言い分を聞きました、さぁ握手して仲直りね(^^)」みたいな変な方向に終決させられる。
「あの子はお家が大変でそのはけ口であなたにきつくあたっていた」
「あなたは優しい子だから甘えていたのよ、理解してあげて」
「みんな受験のストレスが溜まってるんだ」
とか言われたことがあるけど、どうして一方的に危害を加えられている被害者が、加害者の事情を理解する必要がある?
女同士だから肉体的な暴力を被ったことはないけど、危害を加えられた側からすれば、ストレスが溜まったから相手の顔が整復出来ないくらい殴りましたってのと同じなの。
傷跡が見えないだけでイジメられることで心が変形してしまうの。
それでも優しさに甘えてきつくあたってた、なんて言えるのだろうか?
私は親にも先生にも言えなくて、何もない平気な振りをして毎日学校に行ってた。
教室や学校に居続けることが唯一の抵抗だった。
だけど、もし自分に子供ができてイジメにあったら、そんな学校には行かなくていいと言うだろう。
イジメられる経験なんて人生に必要ないから。
高校生の時、イジメられていることを吐露したのは、どうしようもなく切羽詰まって担任に漏らしたのが最初だった。
まぁ、この担任が握手で仲直り♪をさせた人なんだけど。
小学生の時は卒業まで必死に耐えて、結局親も担任も知らなかったと思う。
生徒全員が受験戦争を戦う学校で、イジメは大小至る所で起きていたけど、イジメよりも受験の方が重要事項で、ひとつひとつの事案に対応するような環境じゃなかったんだ。
イジメられてることを親に話せなかったのはなぜなのかな?と自問自答してみたんだけど、イジメられるような子供でごめんとか、イジメられてるなんて恥ずかしいとか、イジメにあっているなんて言ったら怒られるとか……プライドや羞恥や恐怖なんてものが阻んでいたんじゃないかと、今更ながら思う。
でも、その羞恥やプライドは無駄なものだった。
余計に自分を辛く苦しくさせるものだった。
SOSやHELPを発信できずに命と天秤にかけるほどのプライドじゃない。
親になったことがないから親の気持ちがわからないって良く言われるけど、この場合は親の気持ちなんて考えなくていい。
イジメられているなんて親を悲しませる?
子供を亡くす方が何倍も悲しむよ。
イジメられている弱い自分が恥ずかしい?
イジメている奴の方が人間として恥ずべき存在だよ。
イジメにあっていることで怒られる?
怒るべき相手は加害者だ。
「イジメられるから学校に行きたくない」
「イジメられるから部活に出たくない」
それだけでいいから、親でも、おじいちゃん・おばあちゃんでも、先生でも……苦しんでいることを伝えて。
そして、死ぬほど嫌なら学校なんて休んでしまえ。
私は教室に存在し続けることが唯一で最後の抵抗だったけど、保健室登校でも、図書室登校でも、不登校でもなんだっていい。
心が歪んで変形してしまうよりはいい。
命を断ってしまうよりはいい。
学校は世界の全てじゃない。
学校の外にはまだ見たことのない、君が認知すらしていない凄く広い世界があるよ。
君を拒否するその場所は、世界中に星の数ほどある場所の内のたった一か所だから、救いがないと絶望しなくていい。
君は君の居場所にまだ辿り着いていないだけなんだ。
イジメからは逃げるが勝ち。
自分自身の居場所に辿り着くための戦略的撤退だ。
他人を変えることは簡単じゃないから、自分の居場所を変えよう。
居場所を変えて、環境を変えれば、周りに集う人間も変わっていく。
そうして自分自身が苦痛を感じずに楽に呼吸ができる場所を見つけて欲しい、です。
イジメられっ子の先輩より。