おはようございます。

 

昨日は日本に来るまで、10歳までの自己紹介をしましたが、今日は日本に来てからの私💙

 

日本に来ることが決まったのも急で、親たちは中国で貧乏するくらいなら先進国の日本で暮らそうかという軽い気持ちで

中国を出たと思います。

実際、当時の中国はまだまだ発展途上で沿岸部以外は貧困地域も多かったと思います。

周りは大体農家で、友達もみんな貧乏でした。まぁとびきりうちは貧乏でしたけどね。

日本に抱くイメージと言ったら、バブルの煌びやかな感じ。電化製品も各家庭にあって、お金持ちというイメージでした。

 

1998年3月に日本に来ましたが、想像した通り街は綺麗で各家庭に車があって、生活に必要な電化製品が揃っているのが当たり前の世界。

私には毎日が夢のようでした。

中国にいたときは、家にある電化製品と言ったら、テレビと炊飯器のみ。

電話、冷蔵庫、車、コンロなどなどはもちろんありません。

ちなみにお風呂もないので、銭湯に行くか家にある樽で頭を洗うだけ。

銭湯に行けるのは貧乏だったから月に一回。

まさにALWAYS〜3丁目の夕日〜って感じ。

 

さぁ、日本に来ましたが、色々トラブルもありました。10歳のいたいけな女の子にはなかなか大変でした。

 

まず、小学校に通わないといけないのですが、通おうと思っていた4年生におばあちゃんの兄弟の孫がいて(つまりはとこ)、その子が私と同学年は嫌だと言ったんです。

その子の気持ちもわかりますけどね〜

だって、いきなり中国人のはとこが同じクラスになるんだよって言われても、戸惑いますよね。

日本の田舎の小学校だったらクラスは10人もいなくて、その中に中国人となれば嫌ですよね〜

 

そこで、通う予定だった4年生ではなく、5年生になりました。

小学校も学年も決まったけど、私ニホンゴワカリマセン状態でした。

 

そこで日本語との戦いが始まります。

 

そんな私が今は、バリバリスーツ着て10cmヒル履いて証券ウーマンしています。

人生何があるかわかりませんね〜

(証券ウーマンが最上級の職業とは思っておりません。中国にいた時との落差を表すために書いています。)