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子宮頚がん 円錐切除後 第二子妊娠 25w4d お空へ

2015/12/3 息子出産
妊娠初期検査で子宮頚がん0期発覚
出産後2016/2/6
その1年後に第二子妊娠
25週1日目で突然の破水
現在入院中
これまでの事や今後の経過を綴っていきます

7/4に入院してから
そろそろ2週間経ちます。
なぜこんなに入院が長引いているのか。

まずは昊くんが亡くなってしまった原因から
お話します。

7/4に破水してから
羊水の状態や感染症の疑いなどを調べ
その際は問題が見られず
羊水ポケットが1センチを切るところだった為
産科の先生と小児科の先生のお話を聞き
7/6に帝王切開で出産しましょう
という結論に至りました。

産まれた時点では
小さいながらもなんとか産声をあげてくれて
みんな少しホッとしていたと思います。

その後すぐNICUで異常が見つかり
その原因が大腸菌による感染症との事でした。
その大腸菌はとても強い菌だったらしく
抗生剤が効かないタイプの菌だったそうです。

私達夫婦は
昊くんの解剖を拒否したので
それ以上の詳しい事は分からず仕舞いですが
おそらく私に悪さをしている菌と同じである
と産科の先生は仰っていました。

私は血液と膣からの細菌培養検査をして
今のところ血液から細菌は出てきていませんが
膣からペニシリン耐性型の大腸菌が検出されました。

ペニシリン耐性型というのは
ペニシリン系の抗生剤に耐性を持つ菌で
ペニシリン系の抗生剤は効き目がありません。

よってペニシリン系ではない
別の抗生剤を使って現在治療をしていますが
子宮内で炎症を起こしており
その炎症がなかなか良くなってくれません。

今朝の採血の結果で
抗生剤を点滴ではなく内服に変えるか
または投薬をやめるか判断する予定でしたが
白血球と炎症の数値の結果は横ばい。
エコーでは子宮内に2箇所炎症があり、1つは2センチ程、もう一方は4センチ程あるそうです。
更に貧血気味ときている。

夕方のカンファレンスで抗生剤を変えるか相談しますとの事。


私はずっと自分を責めています。
原因が大腸菌だったなんて…
私が持っている菌です。

というか
大腸菌はみんな持っているもの
たまたま抗生剤が効かないタイプの強い菌だったので誰のせいでもない。自分を責めないで。
と先生は言いましたが
やはりなかなか難しいです。


母体ですらこんなにダメージがある。
だから余計に未熟児で産んでしまった我が子が
助かる見込みが少なかった事を
納得せざるを得ない気持ちと
あの時私がこうしていたらという気持ちと

毎日気持ちの浮き沈みが激しい様です。
早くお家に帰りたい。
本日、やっと送ってあげる事が出来ました。

私が出産後1週間くらい40度近く熱があり
退院の目処が立たず
すぐ送ってあげる事が出来ていませんでした。

私不在の状況で送ってあげる事も出来ましたが
どうしても夫婦揃って送ってあげたかった。

これは旦那さんも同じ気持ちで
2人して譲れませんでした。


旦那さんが水曜に
出生届と死亡届を提出してきました。
火葬の日程は7/16  10時から

退院の目処は立っていませんが
熱も下がり少し安定して来たので
一時外出の許可を頂けました。


暗くて寒いところにずっと1人にしてごめんね。
一緒にお家に帰ろうね。


朝、旦那さんが病院に来ました。
私も用意していた喪服に着替え
昊くんを迎えに行き
先生達に見送られ出発しました。

外はとても暑く、日中は35度超えです。
どうしても一度自宅へ連れて帰りたかったので
心苦しいですが
クーラーボックスに保冷剤を詰め込み
昊くんを病院から連れてきました。


自宅へ到着。
2人のばぁばと上の子が待っていました。
みんなで「昊くんおかえり」と声をかけ
ほんの数分ですが
ゆっくりした時間を過ごしました。


上の子はさすがに連れて行けないので
私の母に見ててもらい
旦那さんとお義母さんと3人で向かいました。

途中花屋に寄り
棺に入れるお花と
自宅にお供えする花束を受け取り火葬場へ。

最後のお別れです。
実は亡くなった翌日
キレイな白いベビードレスを着せてあげました。
付いていた帽子も被せてあげて
ラトルとミルク、パパとママの手紙を添え
お花をたくさん並べ
「ありがとう」
と声をかけ、最後に頬を触り送り出しました。
考えてあげなきゃいけない。

上の子を連れてきたこの日
旦那さんは
そらくんがいいなぁと。

他にもいくつか候補がありましたが
母が名付けの本を見ていて
そらくんならこの字がいいんじゃない?と

日に天と書いて「昊」

みんなで凄くいいねっと言う事で

私達からの最初で最後のプレゼント。
気に入ってくれたかな?