二都物語を観劇して私なりに

考察したことがあったので

ここにまとめておきたいと思います。

あと自分の経験や考えからの捉え方も

書いておきたいと思います。

 

あくまで個人の意見、

そして考え方、捉え方のため

解釈が違ったり、

小説と見解が違うかもしれませんが

ただのヲタクの独り言、

一個人の戯言として

捉えてもらえると嬉しいです。

 

 

私が観劇を何度もしてきて感じたのは

カートンは自分の求める、自分の考える”愛”を

もらえていないと感じていたからこそ

”愛”というものを諦めていたのではないかと考えています。

だから飲んだくれてやさぐれていた。

 

私自身、親から自分の欲しかった愛情というものは

もらえなかったと感じていますし、

今も一定の虚無感を感じることがあります。

 

ただ親としては

愛情がなかったわけではないと思いますし、

この二都物語の時代において

カートンがやっている弁護士になるには

ある程度の身分とお金が必要だったはずです。

 

ということは、

親はちゃんとカートンにお金をかけて

弁護士にしているのでは?と。

 

ただカートンは歌の中でも言っていますが

弁護士は”人を裁くご立派なクソ仕事”だと。

 

カートン自身はなりたくなかった、

でもそれを選ばざるを得なかったことも

愛されていないに繋がっているのではないかと

私は感じました。

 

弁護士になっているという事実は

この時代において本当に凄いことでは

あるとは思いますが

自分自身がなりたくてなったわけではないとすれば

それが重圧になったり、

押し付けられたことで愛されていないと

感じることもあるのではと思っています。

 

実際、私も実家が会社をやっていて

一人っ子のため

お前が継ぐんだと自分の仕事が

生まれた時から決まっていました。

 

酒場のシーンで、ダーニーに

「人間は与えられた運命を変えることができる。

そうは思わないのか?」

 

と聞かれてカートンは

 

「全く思わない」

「俺たちの運命はすでにゆりかご中にいる時から決まっている」

 

というセリフが出てきているところからも

生まれた家柄で職業が

勝手に決まっていたことに対する不満、

それを変えることなんて許されなかった、

それがやさぐれに繋がっているのではと

感じました。

 

ここからは私の勝手な想像と

実体験からの想像ですが、

カートンは自分の求める愛情が

親からもらえなかったことで

愛というもの自体を諦めた。

 

親という自分と一番繋がりの深い人から

愛をもらえなかったのであれば

他の人からなんて繋がりも薄いわけだし

愛というものはもらえないのではないかと。

 

でも人一倍”愛”に飢えていただろうし、

本当は欲しくて欲しくて仕方なかった。

 

多分カートンの周りに愛をくれる人は

少なからずいたとは思います。

酒場の女性たちだっているわけですし。

 

でもそれでは満足できなかった。

というか無償の愛ではなくて

等価交換だったのかもしれない。

 

だから本当の愛だと思えなかった。

自分の求める無償の愛だと思えなかった。

 

そこにプラスで勝手に感じているのは

愛を認めてしまって、

もしその人に裏切れたら辛いから

”愛”なんてものは自分には縁遠いものだと

思い込んでいたのではないかということ。

一種の自己防衛みたいなものかなと。

だからわざと多く酒を飲んで

人を寄り付かなくさせてるのではと。

(「酒を飲めば誰もが寄り付かない」

と歌っているところから)

 

これは私の感覚ですが

親から愛が欲しいと子供は常に思っています。

こういう愛が欲しい!と期待してみては、もらえなくて

またでも親だから愛が欲しくて期待して、

やっぱりもらえなかったりすると

期待すること自体が辛くて期待するのをやめる。

 

だから自分になんて愛は回ってこないものだと

思い込むしかなかった。

 

そんな風になったのではないかと

私はカートンを見ていました。

 

でもそんな時にルーシーと出会う。

初めは自分になんか縁遠い人だと思っているし

近づかないようにしているのが出ていると思いますし

わざと酔っ払って見せたりしていたと思います。

 

でも心が乱れている自分に気づき始める。

あんなに真剣に自分の目をまっすぐ見て

話してくれる人に

久しぶりに会ったのではないかと

私は思っています。

 

そして何よりどんなに酔っ払った姿を見せても

表面上のカートンで判断するのではなく

その奥にある本当のカートンを

見ようとしてくれた

それに気づいてどんどん

惹かれていったのではないかと。

 

そして人生をやり直したい、

ここからまた新しい人生を作り出したいと

決意するのではないかと思います。

それがこの星空に込められていると思います。

 

で、意を決して告白した、

でもダメだった。

多分後悔もしたと思う。

やっぱり言わなきゃよかった、

期待なんてしなきゃよかったって。

自分はやっぱりダメなんだって。

「最高の人間が最高の勝利を納める、君は幸せ者だよ、ルーシー」

 

この言葉って本当にカートンの精一杯の強がりだなと。

 

その後の結婚式の場面でのカートンの表情、

ルーシーに見つめられた時は一応微笑み返すけど

ダーニーとキスする時の切なそうな表情は

たくさんの感情が入り混じっているんだろうなと。

やっぱり自分ではダメなんだ、

やっぱりこの二人が幸せになるのか

自分は幸せになれないのか

この二人の幸せを見続けなきゃいけないのか?

いろんな感情を感じました。

 

あと私的に一番このシーンで刺さるのが

カートンがルーシーとダーニーを見るだけじゃなくて

周りにいるプロスやマネットやロリーも

幸せそうに二人を見ているのを見ているところなんです。

 

あーこれが家族の愛というものなのかと

カートンは感じたんじゃないかなと。

 

そしてそれ以上に、もしかしたら

プロスやロリーも嬉しそうに見ているところを見て

血の繋がった家族ではなくても

愛というものが存在するのか…?

と初めて気づいた場面なのではないかと

個人的には思っています。

 

そしてここからが実は私としては一番辛いなというか

ここからもうすでに自己犠牲始まってるよな…?

って思うんですけど

ルーシーに愛というものを教えてもらって

愛をもらったからこそ

カートンがこの場に残り続けること。

 

本当だったら自分が好きになった相手が

他の男と幸せそうにしているところ

見るのめちゃくちゃ辛いはずなのに

「君に捧げる愛を」

と歌い上げているのを聞く限り

カートンの中で何かをもらったら

お返しをしなければいけないというのが

根本的にあるのではないかと思っています。

 

これは別の場面でもありますが

ルーシーからスカーフをもらう時に

返すものがないと言っているところからも

何かをもらったら返すのが当たり前の生活、

等価交換が当たり前だったと私は考察しています。

 

それは周りがそうしていたのではなく

カートンがそうしてきたんだと

勝手に想像しています。

 

それが一番わかりやすいから。

渡したから返す、それで終わり。

 

そういう付き合い方をしてきたのではないかと、

それも一種の自己防衛で愛を知るのが怖いからこそ

等価交換にしておくのが安全だった。

 

だからこそカートンの中でルーシーに

自分が一番欲しかった愛をもらったのであれば

返さなければいけないと

感じたのではないかなと。

 

それが相手からしたら無償の愛でお返しなんて

いらないと思っていたとしても。

カートンの辞書にはそれはなかったのではないかと

想像しています。

 

だからカートンはルーシーからもらった愛に

お返しをするため、しっかり報いるために

一番辛い場所を選んだのでは?と思っています。

(もちろんそれだけではないと思いますが。)

 

そんな自己犠牲の愛から始まった生活で大きく変わったのが

小さなルーシーが生まれてくれたことだと思います。

 

小さなルーシーはただカートンを愛してくれて

受け入れてくれて一緒にいれる存在だった。

ルーシーはある意味取られてしまった、

でも小さなルーシーは一緒に喜びを

分かち合うことができた。

 

これがカートンにとっては

物凄く意味のあることだったのだろうと思います。

 

束の間の愛も望みもいつの日にか分かち合える

夢が叶う日が来る

 

この歌詞の意味を私は凄く考えていて

自分にもこういう幸せが来てくれたらという淡い思いと

分かち合えるという言葉を使っていますが

カートンの中での分かち合うというのは

お返しをすることなんじゃないかと

私は思っていてこの愛や望みにお返しができる日が来て欲しい

それが夢なんだと思っているのではないかと私は思っています。

 

私の中で最後のルーシーの家族のために

自己犠牲という愛の形を示したカートンの行動は

演劇の内容としては凄く感動するし素敵だと思います。

 

ただ私の本音ベースな気持ちで言うと

あのカートンの行動はしてはいけない手段だったと

思っています。

 

理由は何個かありますが、

まずあんな純粋で無垢なルーシーや小さなルーシーが

残されてカートンの死をずっと背負い続けなければいけない

それが果たして幸せなのか?と問いたくなってしまいます。

もちろん、ダーニーが帰ってきて幸せもありますが

カートンの命と引き換えに帰ってきたことを

一生背負わなければいけないのでないか、

それは果たして幸せなのかと思ってしまいます。

 

もう一つ大きなものとしては

無償の愛にお返しはいらないということと

そんな自己犠牲をしなくても

カートンは愛されていたことに

気づくべきだったということです。

 

これは私の意見で恐縮ですが、

カートンは自分を平均以下だと言っていることから

どれだけやっても足らないという感覚が

ずっとあったのではないかと思います。

 

自分が本当に欲しかった愛をもらったとして

そのお返しはどれだけでもしないと返しきれないと

思っていたのではないかと感じました。

 

でもルーシーも小さなルーシーも

お返しなんていらなかったと思うし

カートンの愛は十分二人にも伝わっていただろうし

とっくにお返しなんてできていただろうなと。

 

でもそれにカートンは最後まで気づけなかった。

いや、気づいていたけど自己犠牲を選んだ。

 

だから断頭台で

「これまでしてきたことよりもずっとずっといいことなんだ

この先にはこの先には今まで知らなかったずっとずっと素晴らしい安らぎが」

 

と言っていますが、

私にはカートンが自分に

言い聞かせているように聞こえていました。

 

本当は今あるこの幸せが安らぎそのもので

これこそが素晴らしくて自分にとっても大事なものだと

わかっていたのに手放してしまった。

だから後悔もあるし本当は死にたくないという気持ちが

表情に出ているのかなと。

 

それの根底が愛をもらったお返しをしなければという

等価交換の考え方が抜けきらなかった。

 

ここに尽きると私は思っています。

 

大千穐楽で芳雄さんが

「カートンのような選択をした人でも死ななくていいような世の中に」

と言われたのって凄く大きいと思っていて

もちろん昨今の世界情勢のことを

指していたかもしれないけれども

こういう演出、自己犠牲で死を選ぶ

主人公をやった人から

死を選ばないということへの言及があったのが

本当に素晴らしいと感じました。

 

戦争や革命などに巻き込まれた死だけではなく

愛というものに飢え、欲しているけど

諦めてしまって心を殺してしまっている人も

この死には含まれているのでは無いかと思っています。

 

そんな人たちでも愛を知って

無償の愛に包まれる世の中になってほしいなと。

 

死が必ずしも全てを救うわけではないし

その裏で泣いている人がいるかもしれない。

死を美化したままで終わらせない

そういう気持ちもあったのでは無いかと

勝手に私は芳雄さんの言葉から受け取りました。

 

本当に素晴らしい作品でしたし、

たくさん観たことで

解釈が深まった物語でもありました。

本当にこの作品に出会えてよかったです。