おはようございます。
今日は楽しい話しではないので
それだけ前置きさせて頂きます。
申し訳ありません。
2月17日
私の母親が天国へと旅立ちました。
あまりに突然の別れになってしまい
聞いた時は何を言われているのか
正直、よくわからなくなりました。
前の週に帰省して会ったばかり。
あの時はいつもの様に笑って
家にいてくれたのに…。
私は母のことをお母ちゃんって
呼んでたのでここからは
そう言わせて貰いますね。
お母ちゃんの最後は家族の誰も
一緒にいる事は出来ませんでした。
お父ちゃんが外で雪かきをして
お母ちゃんの所へ戻った時にはもう
息はなかったみたいです。
それは本当に突然の事でした。
私は仕事が終わった時に連絡を貰い
そこから直ぐに旦那さんと車を走らせ
実家へと急ぎました。
その道中もお母ちゃんが
いなくなったなんて信じられず
帰れば普通にいる様な気がして…。
実家へ到着するとそこには
いつも寝ている時の顔そのままの
お母ちゃんがいました。
でも、触ると冷たくてどんなに
お母ちゃんと呼んでも返事をして
起きてくれる事はありませんでした。
どんなに泣いても、話しても
もうお母ちゃんの声を聞く事は
二度と出来ません。
散々ケンカしてくだらない話しをして
お母ちゃんと私の会話はお互いに
話したいことをペラペラ喋って。
お互いに好きな事を喋るから
会話が噛み合ってないはずなのに
でもちゃんと会話が成立してて。
お母ちゃんはミーハーなとこもあって
すごく子供みたいにはしゃいだり。
寂しがりやだからしつこく私に
電話をかけてきててそれがすごく
ウザいと思って怒ったり…。
今思えば毎日ちょっとでもいいから
電話で話しをしてれば良かったな、
なんて事ない会話をすれば良かったな
って思っています。
後悔することってたくさん。
居なくなって初めて気づく母親という
存在の大きさを実感しています。
お母ちゃんみたいにはならない!
なーんてよく言ってたけれど、
尊敬するところもたくさん。
お母ちゃんみたいになりたいとこ
たーくさんあるんだよ。
お骨になったお母ちゃんを見て
私を産んでくれたことに
心から感謝の気持ちでいっぱいです。
お寺さんのお話しの中で
「あなたの命は誰の物ですか?」
という問いがありました。
これをある小学生の子供たちに
質問をしたそうです。
ほとんどの子供たちが
自分の命だから自分の物、
と答えたそうです。
じゃあ、あなたの物であるならば
一度死んで再び生き返って下さい。
そう住職が言うと子供たちは
ビックリした顔をして戸惑いました。
自分の物であると言うならば
それは可能なことであるはずです。
自分の物と言うことはあなたの
自由に使えると言うことです。
あなたの命は誰の物ですか?
住職は続けて言いました。
命は誰の物でもないのです。
自由にならないからこそ私たちは
神様に生かされているのだと。
自分の物でないこの命を大切に
残された私たちは強く生きないと。
そう思いました。
今はまだ悲しくてたまらない。
油断すると直ぐに涙は出ちゃうけど、
そこで止まっちゃダメだよね。
お母ちゃんの死をもって、
見えたことがたくさんあります。
お母ちゃんの笑顔を忘れずに、
いつまでもお母ちゃんにとって
自慢の娘でいられるように
私はこれからも生きていきます。
まだまだ言いたい事は尽きません。
きっとお母ちゃんもどこかで
頑張ろうとする私の姿を見ていて
くれるはずだから。
力をくれると信じて。
お母ちゃんを知るすべての皆様、
色々と本当に有難うございました。
ここまで読んで下った方へ。
ありがとうございました。
お友達のみんなには突然の報告で
ビックリさせてしまったかもだね。
ブログを通してですが
きちんと私の言葉で伝えたかったので
書けてよかったです。
涙が邪魔をして文章が
なかなか先へ進めず、
そしてめちゃくちゃな
言葉だったかもしれません。
さっきも書いたように、
前を向いてしっかりと歩けるよう
これからも頑張っていきます!
これからもどうぞ宜しく
お願いします!
ここまで読んでくれて本当に
ありがとうございました。
2013.2.26 ゆん