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地球とひなたぼっ子

地球環境に優しい情報や、ネコちゃん達、身の回りで起こる細やかな事柄のお話しです☆



ホロドモールとは。
「ホロド」は飢饉を、「モール」は疫病や苦死を表すウクライナ語。

ヨシフ・スターリン(旧ソ連)の統治下にあったウクライナで、1932~1933年に実際に起きた「人為的・意図的に引き起こされた大飢饉(飢餓大量殺人)」の事で、20世紀最大の悲劇のひとつとされています。
(前回の「映画:赤い闇~スターリンの冷たい大地で」の元の話です)

①1926年から凶作に陥ったソ連は、その打開策としてコルホーズシステム(集団農業)を導入。

②当時のウクライナは、「ヨーロッパのパンかご」と呼ばれるほど豊かな穀倉地帯だったが、1930年代に入る頃には、ウクライナの農民の大多数が集団農場で働かされていた。

③ウクライナ人が収穫した穀物は全て徴収され、ソ連の外貨獲得のため国外に輸出、工業化や諸外国への債務返済にあてられたという。

④ソ連政府はウクライナのコルホーズに過剰な量の穀物徴収を課し、割高を提出すると農民には自分たちが食べる分の食料が残らなかった。
彼らは激しい餓えに苦しみながら、労働することを余儀なくされたのだ。

⑤1932年12月には国内パスポートをつくり、ウクライナの国境を封鎖。
農民は自由な出入りは許されず、村や集団農場に縛り付けられた。


⑥イギリスなどヨーロッパの国々は、国際赤十字を通じて、ソ連政府に飢饉への対策を要請したが、ソ連は飢饉の存在を隠蔽して認めなかった。

⑦しだいにウクライナではソ連に対する反感の機運が高まったが、ソ連はウクライナ人を圧迫し続けた。

⑧極限状態が続き、通りには力尽きて道に倒れた死体が放置され、町には死臭が漂っているという有様だった。
当時は、飢饉や飢えという言葉を使うことも禁じられていた。

⑨飢饉によってウクライナでは人口の20%(国民の5人に1人)が餓死し、正確な犠牲者数は記録されてないものの、400万から1450万人以上が亡くなったと言われている。

⑩ソ連では長期にわたりホロドモールの事実が隠蔽され続け、結局、ソ連政府がこの大飢饉を認めたのは1980年代になってからだった。

⑪1991年のソ連崩壊によって、統治下にあったウクライナは漸く独立を果たした。
在日ウクライナ大使館では、ホロドモール被害者追悼の日にあたる11月第4土曜日に、追悼祈祷式と礼拝が行われている。


誰かの言葉を引用すれば、「ウクライナ人とロシア人は同じ民族」だと言う。
しかし、本当に同じと言うのなら、同じ民族にこれほど残酷な事は出来ないはずだ。
つまり、ウクライナ人の命を軽視した「明らかなる人種差別」の証拠だろう。

ソ連によって引き起こされた人為的な大飢饉ホロドモール。
それは国家間の被害者と加害者というだけでなく、深く長く繰り返されてきた戦争や人種問題の傷も影響している。

ウクライナ人の犠牲の上に成り立った国家の血塗られた歴史を直視し、理解し、心を寄せてみよう。
再び同じ惨劇が起こらないように、この悲劇を忘れてはならない。

「ホロドモール」より