すこし、私がどのようにして12年間をぶっつぶして浮上したかを話してみようと思う。
発症したのは、26歳のときだった。いやーん歳がバレる。
兆候はその前年あたりからあったのだけど。
22歳で、大学出て、当時バブル崩壊後の就職氷河期と呼ばれる世情の中、なんとか就職した私。
大企業の事務職で、男性との格差もなく、安定した「いい職場」だった。
最初の職場は出先機関で、私を含めて正社員5人の小さな部署。
そこにいたのは、所長と次席、アラサーのお姉さん、そしてその人よりちょっと若い…ダメ男。
ダメって言っても、ただ仕事ができないだけなくて、就労態度も非常に悪かった。そっちの方がダメ度が高かったな。執務室にいないと思って外を見ると、公園方面からつながってる道路をのんびり歩いて帰ってくる途中だったりしたことが何度かあったし、机の上で堂々と資格試験の本を広げて読んでたりしてた。
今思うと、彼は半ば干されていて、誰とも仲良くなかったし、疎んじられていた。そりゃ職場にいたくないし現実逃避したいし、事実仕事も暇なんだからしょーがないよねって思う。彼をそんなふうにしちゃった職場に問題があるとも思うのだが、当時はそんな考え方を持っている人は誰一人いなくて。
で、そこに入った新進気鋭の若者ちゃんが私。
「(ダメ男)さんより新人のるのさんのほうが何倍も仕事をする」と可愛がられた。
自分は仕事ができると思ったよ、私。うまくやれていると思っていた。実際そこではうまくやれていた。
しかし、その職場には問題がほかにもあって。
パートさんたちの仲が悪い…というか、すごいおばちゃんが一人いて、仲間のパートさんたちをいじめまくっていた。一人は馬鹿だから気に入らなかったらしく、一人はすっごくできる人だから気に入らなかったらしく。
まあ、雰囲気はとても悪かった。
そのころ、ちょっと疲れやすくなっていて、でも内科に行っても何も悪いところは見つからなかった。
で、3年勤めた頃、その雰囲気が嫌になって、他所に異動したいと願い出た。
異動先は、ほぼ同じ内容の仕事をするほかの営業所だった。
その職場では心の病で1人休職しており、補充人員として経験者が欲しかったそうで。
私も若かったから、「期待されてるんだし経験者なんだから即戦力になって当然」って思っていた。
上司を含めほかの職員もみんなそう思っていたと思う。
だが、同じような内容の職場でも、立地や細かい事業の内容、それにお客さんの年齢層が違った。当然理念とかそういうものも変わってくる。
上司の一人が、若者大好きなおばさんで、若くて賢い人を可愛がっていた。ボーイスカウト出身者とかがお気に入りだった模様。
彼女のすぐ下には私と同い年の男の人がついていたけれども、彼は彼女の期待に添うような考え方をする人じゃなかった。物静かなタイプだった。
なので、いびられて、やはり心療内科に通っていた。
で、私だ。
そのおばさんの求めに応じて、分かってますよ、あなたの要求にはすぐ応じられますよ、的な態度を取り続けた
おばさんは喜んで私を試しにかかる。
でも、そこの仕事のすべてを理解している訳では、当然、なかった。
しかも激務で、このころまで飲めなかったビールを「なにこれうまい!」って思った記憶がある。それから私はビール大好きなのだが、それは余談。
そして4ヶ月。真夏の炎天下泊まりがけというお仕事を終えた後、私はベッドから出られなくなった。
それが長い闘病生活の始まりだった。
12年の戦いは意外な結末を迎えた。
「妊娠を望んでいるので、減薬してほしいんです」
とか半分方便(半分は本気)で、産婦人科のある総合病院に転院の理由をそれにして今までの医者を離れ、新しい医者に妊娠妊娠騒いで無理矢理減らしてもらったクスリ。
最初は離脱症状が出て、少し苦しかった。多分(本人記憶がない)荒れていたと思う。お肌も、それ以上に精神的なアレがね…。
しかし。
離脱症状の後に残されたのは、スッキリと楽になった自分だった。
ここら辺は書くのがはばかられて、ブログを何度も潰した原因の一つなんだけど、私はクスリをやめて元気になった。いや、正確には、多分もう症状的には無くなっていたのだろう。なのに、漫然と処方されたクスリを飲み続けた結果、クスリの副作用でうつになっていたと思わざるを得ない状態だった、みたいである…。
だから、クスリを切るのはお医者さんに相談の上か、頭固くて絶対処方を変えてくれない(かつて私が通っていたいくつかの病院のセンセーみたいな)医者だったなら、くれぐれも自己責任でお願いします。結果悪くなってこじらせて死ぬ思いをしても、私には責任とれない。
ところで、そんなわけで「うつ病は寛解した」と新しい医者に言わせた私は、それから1年半、クスリを全く飲んでいない。
しかし。
うつ病はやはり「寛解」であって「完治」ではない。すぐに落ち込む癖は厳然として存在するし、時々「あー後戻りしたらどうしよう」というような状況に陥ることもある。ま、それでも精神症状はだんだん良くなってきてはいるんだけど。
問題は、残された体だった。
うつ病になると、ご飯が食べられなくなる。少なくとも私はそうだった。普通の「ご飯」が食べられず、…口当たりのいいソフトクリームしか喉を通らなくなった時期があった。
甘いものはストレスの発散にちょっとだけ寄与する。口当たりが良く、なんとか食べられる。
そして、甘いものしか食べられない人になる。
その上、引きこもって布団にくるまって暮らしているので、動かない。
うつ病、太るんだよ…。
もちろん体も弱る。栄養が極度に偏っているのだから。
ひ弱なデブができあがるわけだ(号泣)。
絶賛病気中のときは、どんなに医者に訴えても「病気が治れば自然とやせるから」と訴えは却下された。
日々醜くなる自分が嫌だった。
病気から解放されたの、12年後だったんだけどさ、全然自然とやせたりなんかしないよバカっ!!!
それどころかメタボな虚弱体質が出来上がっただけだったよ!><
そんなわけで。
デブのくせにすぐ風邪を引いたり、デブだから腰痛になったり、精神的にも弱いからすぐ自律神経にきちゃったりするダメな無職(職も失った)が存在するに至った。
仕事にはなんとかありついたけど、やはり休む率が高いわな。すごい自己嫌悪。
なので。
私は痩せたいし、健康になりたい。
ついでに、病気から解放されることだけを祈って生きた12年の間に失った夢とか希望とか、もう一度切実に考えなくちゃならなくなった将来についてのこととか、そういうものも構築していきたい。
そのためにこのブログを使おうと思う。
「妊娠を望んでいるので、減薬してほしいんです」
とか半分方便(半分は本気)で、産婦人科のある総合病院に転院の理由をそれにして今までの医者を離れ、新しい医者に妊娠妊娠騒いで無理矢理減らしてもらったクスリ。
最初は離脱症状が出て、少し苦しかった。多分(本人記憶がない)荒れていたと思う。お肌も、それ以上に精神的なアレがね…。
しかし。
離脱症状の後に残されたのは、スッキリと楽になった自分だった。
ここら辺は書くのがはばかられて、ブログを何度も潰した原因の一つなんだけど、私はクスリをやめて元気になった。いや、正確には、多分もう症状的には無くなっていたのだろう。なのに、漫然と処方されたクスリを飲み続けた結果、クスリの副作用でうつになっていたと思わざるを得ない状態だった、みたいである…。
だから、クスリを切るのはお医者さんに相談の上か、頭固くて絶対処方を変えてくれない(かつて私が通っていたいくつかの病院のセンセーみたいな)医者だったなら、くれぐれも自己責任でお願いします。結果悪くなってこじらせて死ぬ思いをしても、私には責任とれない。
ところで、そんなわけで「うつ病は寛解した」と新しい医者に言わせた私は、それから1年半、クスリを全く飲んでいない。
しかし。
うつ病はやはり「寛解」であって「完治」ではない。すぐに落ち込む癖は厳然として存在するし、時々「あー後戻りしたらどうしよう」というような状況に陥ることもある。ま、それでも精神症状はだんだん良くなってきてはいるんだけど。
問題は、残された体だった。
うつ病になると、ご飯が食べられなくなる。少なくとも私はそうだった。普通の「ご飯」が食べられず、…口当たりのいいソフトクリームしか喉を通らなくなった時期があった。
甘いものはストレスの発散にちょっとだけ寄与する。口当たりが良く、なんとか食べられる。
そして、甘いものしか食べられない人になる。
その上、引きこもって布団にくるまって暮らしているので、動かない。
うつ病、太るんだよ…。
もちろん体も弱る。栄養が極度に偏っているのだから。
ひ弱なデブができあがるわけだ(号泣)。
絶賛病気中のときは、どんなに医者に訴えても「病気が治れば自然とやせるから」と訴えは却下された。
日々醜くなる自分が嫌だった。
病気から解放されたの、12年後だったんだけどさ、全然自然とやせたりなんかしないよバカっ!!!
それどころかメタボな虚弱体質が出来上がっただけだったよ!><
そんなわけで。
デブのくせにすぐ風邪を引いたり、デブだから腰痛になったり、精神的にも弱いからすぐ自律神経にきちゃったりするダメな無職(職も失った)が存在するに至った。
仕事にはなんとかありついたけど、やはり休む率が高いわな。すごい自己嫌悪。
なので。
私は痩せたいし、健康になりたい。
ついでに、病気から解放されることだけを祈って生きた12年の間に失った夢とか希望とか、もう一度切実に考えなくちゃならなくなった将来についてのこととか、そういうものも構築していきたい。
そのためにこのブログを使おうと思う。
うつ病だった。
このテーマで何度ブログを立ち上げては潰してきたか(^^;;
だって難しいんだもん。
寛解した(というか、医者から「あなたの今の状態はうつ病ではありません」と言われた)のが平22年春なので、昨年。
発病したのが平成10年夏かな。
それまで全力で闘ってたわけだから、まだ気持ちに整理がついてないこともある。
社会的な面からも書きづらい。
昔の職場をはじめとした人間関係。バレたらそれらの人に申し訳ない。
あと、私はまだ短期雇われの身なので、下手に身バレすると次の仕事に悪影響を及ぼす。就職活動のときに「元患者でーす」なんて言ったらどこも雇ってくれない現状。
ま、なので、今回は(今回て…)匿名で、気楽に書こうと思った次第。
徒然なるままにでござる。
このテーマで何度ブログを立ち上げては潰してきたか(^^;;
だって難しいんだもん。
寛解した(というか、医者から「あなたの今の状態はうつ病ではありません」と言われた)のが平22年春なので、昨年。
発病したのが平成10年夏かな。
それまで全力で闘ってたわけだから、まだ気持ちに整理がついてないこともある。
社会的な面からも書きづらい。
昔の職場をはじめとした人間関係。バレたらそれらの人に申し訳ない。
あと、私はまだ短期雇われの身なので、下手に身バレすると次の仕事に悪影響を及ぼす。就職活動のときに「元患者でーす」なんて言ったらどこも雇ってくれない現状。
ま、なので、今回は(今回て…)匿名で、気楽に書こうと思った次第。
徒然なるままにでござる。