久しぶりにいろいろ考えさせられる記事でした。


TIMEは軽くて持ち運び易いので学生時代から惰性で取っている雑誌。

暇なとき以外は届いたらバーっと目を通してバッグへポイっ

そのままになる確率50%を超えるという、普通だったら解約してるレベル得意げ


記事をじっくり読むのは珍しいのですが、

この記事に出会えてよかったです。


ティーンエイジャーの自殺とソーシャルネットワークの関連性。


これね、本当に深刻だと思う。


自分が“まっとうな”青春時代を過ごさなかったから、逆にわかるのかも。


“まっとうな”青春を生きるティーンエイジャーにとって、


「周囲がすべて」


なんだよね。


周囲とのぶつかり合いの中で自己を確立していく。


でも、昔だったら、そこには家庭とか、地域社会とかの逃げ場があって、

四六時中戦っていたわけじゃない、一息つける時間や場所があったと思う。


今はネットで24時間、誰もが危険にさらされている。


ちょっと目を離すだけで自分がやり玉に挙げられてしまって、

流れを変えられなければ翌日には自分がいじめの対象になるかもしれない。


これってすごい恐怖だと思う。


メインで取り扱われていたマシューくん、14歳。


彼も匿名のサイトで叩かれ始めて、すぐにお父さんに相談して、

お父さんは、無視するように言った。

「そんなことをしている奴もいつかは自分のしていることの愚かさに気付く」と。


お父さんは正しい。おそらく。


でも、息子には無視はできなかったし、匿名の悪意が改心するまで精神がもたなかった。


そのサイトの創始者は言う。

ソビエトに言論の自由を抑圧され、貧しい暮らしの中で育った東欧の兄弟。

自由よりも大切なものはないと。

自殺との関連については否定もしないが、肯定もしない。

ただ、ネットは今やそこにあるもので、社会そのものであると。


暗に言っているように聞こえる。

昔から自殺はあった。

このサイトがあろうとなかろうと自殺はなくならない、と。


確かに。


ネットで悪意にさらされたティーンが全員自殺していたらえらいことになるだろう。

そんなことはない。

弱い人だけが、運の悪い人だけが死を選ぶ?

それはどうしようもない?


・・・一利あるところが本当につらい。


「今」青春を過ごしていない人間には、彼らのつらさもくやしさもわからない。


「今」彼らは溶け合って、自他が曖昧なまま生きている。


ほんの短い、一生で今だけかもしれないくらいの濃密な日々。

そして瞬きする間にそこから脱皮して、自己を確立する。


速い遅いの問題なのか、タイミングなのか・・・


人の世から悪意はなくならない。

人が集まるところ、悪意も集う。

それはどうにもできないことで、「どうにもできないことなのだ」という諦めが必要だと思う。


マシューを例にとれば、匿名の悪意の発起人をつきとめるか、

それができないなら、スパッと人間関係を整理して、

ネットに頼らなくても維持できる関係だけをよりどころにすればよかったのだと思う。


自分がもし、今、このネット社会で中学生高校生をしなければならないとしたら、発狂したかもしれない。

自意識のぶつかり合い。

いつ標的になるかわからないサバイバル。


運動部に所属してそんな暇もないくらい身体を動かして、その仲間と過ごすか、

楽器なりほかの何か特別な習い事をするなりしてその強固な師弟関係を縁とするか///


・・・あれ?やっぱりネットなしでも大丈夫そうなんですけど・・・


なんでそんなにネットに依存するのかな?わからない・・・他人のことなんてどうでもいいと思うんだけど。