2013年11月14日の入院。

母の状態はよく、

集中治療室から一週間後には

一般病棟に。


気管切開で声を失いながらも、

口を動かし、

母は色々な想いや考えていることを

伝えてくれていました。


ところが、、、

12月に入り、

なんやかんやと薬が追加されたり、

いきなり中止になったりを

繰り返しているうちに、

だんだんと意識レベルの低下など、

状態が悪くなっていきました。

入院する前よりも。

(この治療内容ついてはまた記事にします。

皆様にも気を付けて欲しいので)


今、考えると、

11月中に退院(または転院)

させておけばよかったかと、

今も悩んでしまいます。


病室の母に私が話しかけたり、

手を握ったりしていると、

主治医がやってきて、、、

「もう、反応ないでしょ」

「もう無理ですよ」

「そんな毎日来ても変化ないですよ」

などなど。。。

ヒドイです。

本人には聞こえています。


「意識ナシ。

もう、何も考えたりしていない。」

それが主治医の言葉。

でも、そんなことはなかったのです。


母と私の間には、

決めごとがありました。

もし、意識レベルが低下したときのために。

私が母の手を

「キュッキュッキュッ」

そしたら母が

「キュッキュッキュッ」

試しに4回にしたり2回にしたり。

「大丈夫よぉ!!」

と言わんばかりに、

私のにぎる回数を

返してくれました。


その、キュッキュッキュッが、

なくなって数日後。

母が亡くなる5日前の出来事。


もう、12月中旬には、

口を動かすことも

できなくなっていたのですが、

亡くなる5日前のこと。

母が、口を動かして、

私に何か伝えようとしてきました!!


私は、「なに?どうした、かあちゃん!」

母が最後の力を振り絞り、

私にくれた最後の言葉。


「○○(私の名前)ありがとう。」


そして、母らしく、

最後の力を振り絞ったのでしょう!!

右手だけ動かし、

うつろな目のまま、

手を振ってくれました。

「バイバイ。」

その手を握ると、

母の方から、

10回くらい

「キュッキュッキュ・・・・・」

そして、ぐったりして、

また母は眠りました。


それが、いつも私に力を尽くしてくれた母の、

自分に残された精一杯のエネルギーを

使っての、

最後の母の私へのやさしさでした。


今はまだ、

涙が出てしまうけど、

かあちゃん、これはいいよね。

「愛の涙」だから。

「ありがとう。は、私のセリフだよ!!

かあちゃん、ありがとう!!」

多くの厳しい躾。

多くの愛情。

多くの知識。

まだ、かあちゃんに

「バイバイ」できそうにないけど、

もう少し。もう少しだけ。