こんばんは!
キャラクター紹介は、再びあまりなじみがない人物方向に舵をきります。
清国北洋艦隊の提督
伊藤祐亨のライバル、そして――親友でした
 
○丁汝昌
キャスト 渡邊隆義
1836年11月18日(道光16年10月10日) 
※日清戦争(1894年)の時には58歳。
 
清国の軍人。北洋艦隊の司令長官です。
太平天国の乱では陸軍として最初は太平天国軍――つまり、反乱側として働きますが、その後、逆に太平天国軍を相手取って戦うこととなり
『協勇巴図魯(協勇の勇者)』
の勇者称号を授かるほどの働きを見せました。

その後、新設される北洋艦隊の参与になり、北洋総督である李鴻章の命により200名の部下を連れて英国へ留学。
帰国後に正式発足した北洋海軍の提督に任ぜられたのです。
 
丁汝昌が北洋艦隊の本拠地である威海衛を訪れた際に丁汝昌が、その4年後に丁汝昌が東京へ来た際に伊藤祐亨が――それぞれを大歓迎会でもてなすということがありました。
祐亨が威海衛を訪れたのは、訓練航海がてらの各国の軍港を表敬訪問する目的でしたが、丁汝昌が日本へきたのは、皇帝陛下の命により、北洋艦隊所属の世界最大級の戦艦『定遠』と『沈遠』をもって周辺国を恫喝する目的。
そういう礼儀知らずな真似をすることがとても嫌だったのか、日本滞在中に『おしか』という芸者さんと恋仲になるや『帰りがたい』という思いをいだきつつ、断腸の思いで日本をあとにしたとか。。。
 
人物としては【老巧化した清国においてよくまァ存在し得たと言えるような、ちゃんとした人物(司馬遼太郎談)】という、まっとうな武人ともいうべきひとでした。
実際に丁汝昌と会い、親しくした勝海舟曰く
『大きな身体で浅黒い肌。動作はキビキビしていて少しも偉そうにしていない』
『言葉は丁寧で謙虚。望みははなはだ遠大』
『海外に友人ができた。うれしい』

的なコメントを書き残して(口述筆記なので言い残して?)います。
 
その勝海舟にとって、伊藤祐亨は神戸海軍操練所の生徒で、自分の弟子。
黄海海戦をはじめとする日清戦争の海戦は『親友 VS 弟子』というなんともつらい戦いであるので
『俺と丁との間はこんな関係だから、思いは常に北洋艦隊の上にはせて、敵ながらもその消息が気になった』
『伊東祐亨も一生に一度ともいうべき晴れの舞台にのぼったからには、どうか日本海軍の名誉と一身の手柄をたてさせたい』
『あの時のおれの胸は、あちらを思ひ、こちらを思ひ、ほとんど千々(ちぢ)に砕けたよ』
と書き残しています。
『清の』というより『アジアの』名将として日本でも有名な、誰からも愛される好人物でした。
 
伊東祐亨とどのような交流があったのか?
そして、友情の果てに何が待つのか……?
 
ぜひ、ルナパレスでお確かめください!