今日は3月11日。
いろいろなことを思いめぐらしてしまう日である。

震災で家族、知人を亡くされた方々の気持ちを思うといたたまれない。

ただ、私はそういった
突然に自分の大切な人を
亡くしてしまうかもしれないことを
常にどこかで想定してしまっているところがある。

私は小さい時に父親を亡くし、
他にも多くの身内が亡くなり、
阪神淡路大震災で友人を亡くし、
母親も数回がんを患い
6年半前亡くなった。
私が初めてもった部下の一人は
若くして突然死した。

そして毎日、事故や事件を
ニュースで見る中で、
私がいつこの状況になるかもしれない、
という覚悟をどこかでもっている。


父が亡くなり
母と二人の生活になってから、
いつもそのことを話していた。

母は私にやりたいことをさせてくれて
ネパールに行きたいと言った時も
反対せずに送り出してくれた。

海外での生活では何があるか分からない。
母だって一人で生活していて何が起こるか分からない。
もし二人が離れている間に何かあっても
決してお互いに離れていたことを後悔しないこと。

お互いに今を一所懸命に生きてきたことを
誇りに思いたいと。

だから、毎日の日常生活でも、
母と私はいつもそのことを思っていたので、
毎朝出かける時も、必ず、
声をかけ合い、
お互いにお互いの姿が見えなくなるまで
手をふり見送っていた。

けんかをした朝も、
少し不機嫌そうな顔ながらも
それはやめなかった。

それはお互いに、大切なひとが、
突然いなくなってしまうかもしれない、
自分が先立ってしまうかもしれない、
この世の中では、想定外のことが
起こってしまうことを知っていたから。

だからこそ、相手といる時間を大切にし、尊重し、共有し、
そして、不注意で事が起こらないよう、
事前準備し、防ぎ、
対応することも心がけていた。



そんなちょっとネガティブと
とられてしまうかもしれない行動だが、

毎朝、相方である夫の出勤時は、
必ず笑顔で見送ることを心がけている。

相方が無事に帰ってきてくれる強い願いと
ある意味自信をこめ、

そして相方が気持ちよく
今日一日を過ごしてくれることを希望して。

そして今日も笑顔でおかえり、という瞬間を楽しみにして。