何事も”頑張る”っていうのは生きていれば当たり前の事柄でもあったり、誰しもが経験して通る道だと思います。
今日は私の”頑張る”原動力についてお話ししてみたいと思います。
私はまず聴覚障害という障害を持って生まれました。(ADHDは大人になって発覚なのでここでは割愛。)
障害を持って生まれるというのは今もなお、沢山の偏見や好奇の目に晒されるということです。
事実、私は同級生から、その親から、取り巻く大人から差別され続けました。
ー何喋ってるかわからないから遊びたくない
ー障害者なんだから、なかよし学級の子らと遊んどけばいいやん
ー耳が悪いから自分の子供と遊ばせたくない
ー耳が悪い子がお遊戯会出るのはおかしい
ーこの子は聞こえないふりしてる!嘘つき!
ー耳の悪い子には勉強教えたくない
それ以外にも心無い言葉を投げかけられることも沢山ありました。
子供の私の中に生まれたのは”なぜ私だけ耳が悪いの?なんで皆は聞こえるの?ずるい!!悔しい!!聞こえる人は私をいじめるから憎い!!”といった大きな怒りでした。
実際、耳さえ悪くなければ皆、仲良くしてくれるのに。と本気で思っていました。
そして毎日、仲間はずれにされて泣くことなんてないのになんて思って拗ねて母に八つ当たりする時も。
高校卒業を機に私の中で何かが爆発して荒れ狂った日もありました。
今、思えば荒れ狂った日も仕方のない通過点だったのかもしれません。
子供の頃からそんな思いで過ごしてきたせいは未だに私は普通よりかは嫉妬深い性格だと思います。それは確実に言えます・・・(苦笑)
けれど、その嫉妬深さは時には私の”頑張る”というエネルギーに変えてくれます。
かなり嫉妬深いからこそ、負けてたまるもんか根性で何事も努力し続けることができたんだと感じています。
「ゆーこさんは何でもできて凄いね。」ってよく言われますが、本当は嫉妬深い性格のおかげです(苦笑)
だって、子供の時は差別されたり、馬鹿にされ続けて本当に本当に悔しかったし、何かにつけて除け者扱いされない”普通の子供”になりたかったし、毎日のようにされていた仲間はずれは本当に辛かったし、”仲良しグループ”にめちゃくちゃ憧れたこともあるし、人気者のあの子は勉強も出来て運動もできて皆んなから好かれてすごく羨ましかったから、何に対しても負けるもんか!!って気持ちがあったからです。
私はただ、障害者として生まれたっていう大きな劣等感を埋めたくて何でもできるように努力し続けただけなんです。
絵も下手だったし、手先だって不器用すぎて何かにつけてめちゃくちゃ馬鹿にされたから悔しくて悔しくて毎日ひたすら何か描いたり作っていたから絵もハンドメイドもそれなりに出来る様になりました。
でも、精神面で言うと受け続けた差別と偏見、そして前夫の激しいDVをきっかけに潰れてしまって病気にはなっています。
そりゃ子供の頃から差別され続けて、結婚しても差別され続けましたから。
今も正直言うとかなり嫉妬深くて、人のことを羨んで嫉妬の感情に狂う時もある私ですが、その気持ちがマイナスのエネルギーにならないようにだけ気を付けながら、その感情と折り合いをつけながら、これからも頑張っていきます。