もう少し先ですが、井上ひさし作蜷川幸雄演出古田新太主演・薮原検校を観る予定である。
薮原検校-新橋演舞場で中村勘九郎丈(現・勘三郎丈)、こまつ座木村光一演出・高橋長英さん(再演・再々演)と観ている。数ある井上作品の中で一番観ているかもしれない。
私にとって井上ひさし作品は感慨一入なのである。
最初に戯曲というものを読んだのは、井上ひさし作品だ。
観劇する手段を知らない女子高校生は、放課後の本屋で燃えていた。
そして17歳、市村正親さんが出演した劇団四季子供ミュージカルをNHKで見て、その思いは切望へと変わり、京都公演に奔るのである。
幼児の頃から親しんだ「ひょっこりひょうたん島」から始まり、作家としての作品もほとんどを読んでいる。特に戯曲は、乙女の胸でイメージを膨らませ高揚していた。その証拠に無謀にも「天保十二年のシェークスピア」を高校の学園祭のクラス演劇で舞台に挙げようとして挫折したおんなである。(「爆笑」するところです)
成人して芸能座(小沢昭一さん主宰)、こまつ座(井上さんが座付作家)と観てきたが、新作公演の延期や中止が続き、日程がたたなくなったりして、いつの頃からか観なくなってしまった。
しかし変わらないのは、井上さんの本・舞台は面白く楽しく笑い、いつの間にか私の目の前にある問題を意識させられることである。井上作品が舞台になる時、私の血が騒ぎ観劇欲を渇望する。
三つ子の魂百までか。
数年前、俳優協会主催(いのうえひでのり演出)の「天保十二年~」の公演を知り、本箱から古い本(昭和48年発行)を取り出し再読する。そして、久しぶりに というか憧れの「天保十二年~」を初めて目にした。読んでもイメージしきれない「きわどいシーン」は以外にあっさりしたものだったが、主人公よりも古田新太さん演じる幕兵衛役に魅力を感じた私だった。
一昨年の蜷川演出は、演者はともかくドギマギ写実的であった。演出でこんなにも変わるものなのか。17歳の薄っぺらなイメージはハラハラと散り、熟々の女の想いが立体化したのである。
戯曲を読み、舞台をイメージ出来るホンと出来ないホンがある。
勿論出来ない戯曲の筆頭は野田秀樹戯曲である。何度も舞台を観ているが、未観作品や書き下ろし作品は、読んでも読んでも舞台にアカリが灯らない。
「パンドラの鐘」野田さんと同時に演出した蜷川さんの舞台は、主演大竹しのぶさんと共に非常に野田作品を解り易くリアルに噛み砕いてくれた。
いつもの「掴みはOK」な演出、しのぶさんの一瞬にして惹きこまれる演技、荒涼とした世界へと没入した。記録としてのDVDと戯曲を見比べると、一字一句ト書きにいたるまで変わらず且イメージを膨らませて演出力を感じた。
最近読んだオレステスのプログラムで「すべての答えは戯曲に中にあるのだ」と蜷川さんは言っている。納得!
それに触発されて、鈴木裕美さんの言葉「演出家は本を書かない」を思い出す。
「演出家とは、戯曲を読み解き発想し立体表現する人であり、決して劇作をする人であってはならない」と理解する。
……その真逆の筆頭が野田さんかぁ?(決して裕美さんが野田批判をしているわけではありません。「演出家とは~」を読み、私が意識的に結び付けているだけです。)
こうして考えると、蜷川、野田両氏は両極端な演出家と言えなくもない。
演出家は、言葉が巧みでなければ成り立たない。己の想いをスタッフ、役者に伝えなければならないからだ。装置、照明、衣装、そして役者は形や姿で表現できるが、演出は他者に発する言葉以外に方策はない。いかに的確に伝えられるかという手腕にかかってくる。
他の戯曲を読み込みイメージして行っても良い意味で必ず裏切られる蜷川さんに対して、野田さんの場合イメージし難い分、受入れ易い作品とそうでない作品に分かれる。時間が掛かる。
必ずしも、全てを理解しているなどと傲慢な考えは持っていない、ここ最近理解しやすい作品にしてくれているのは、彼自身が大衆の理解しやすい場所(演出)へ降りて来てくれてのだと考えている。
イメージしにくい舞台が目の前で具体化して、先に読み込んだ戯曲が立ち上がる悦びは観客のものであり、決して舞台関係者のものではない。
もし、誤解を承知で二人の演出家を比較するならば、
蜷川の心地良い視覚としての裏切りと野田の奇想天外な具体化であろう。
あっさりとした いのうえ演出の「天保十二年~」ですら色気を感じた古田さんが、蜷川さんに今回如何演出されるのか。昨年の「タンゴ~」は何物にも況して駆けつけるべき公演であったが、今年の目玉は、杉の市役 古田新太である。
実存蜷川vs色悪古田
何よりeプラスのインタビューで、2月から台本を読んでいるとの本人コメント、そしてあのポスター、私の持論からすれば期待する以外何があるのか である。
私が10、20代前半より蜷川さん、つかさん、野田さんが存在した。琴線を震わせ心酔し、怒り、どのベクトルであっても心が波立つ。その後、数多の演出家が出現しどれだけ消えていったか。消費されつつあるか。
誰か出てくれ、永久保存版演出家。俳優は観客は不世出な演出家が出現しなければ皆腐ってゆく
腐る?堤さんは腐りません!と思った貴女、「刹那と永遠」の お仕事大賞は連続蜷川作品
つまり蜷川さんが現役をおりた時、心振るわせる舞台見られなくなることを危惧しませんか?彼の持ち味が半減するのは至極残念。
誰か出てくれ~~~。
俳優も観客も伝説となる情熱に燃える演出家を待ち望んでいる。
彼らが戯曲から意識して読み取った何かを、無意識に表現した何かを、私は掻き分け掻き分け、
自身の腑に落せる解釈を無常の悦びとしている。
2007/5/8 初日 薮原検校 シアターコクーン
