愛する人ごと地球を破壊するのはまた今度にする。
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ハラハラドキドキワクワクだった。
すっごい濃かった。盛り沢山というか。
どうやって考えてんのか。脚本会議とか見てみたい。

ロッツォが裏切って、もう火?がウッディたちの目の前で絶体絶命って時(ここの場面ちょっと長く感じたけれど)にアーム来て、もしかしてロッツォが改心してくれたのか!?と期待してしまって、そんなこと期待してしまったわたしバカみたいだと思った。(しかしごみ処理場に着いた時にクレーン?目指してはぐれたリトル・グリーン・メンがあそこでウッディたち救うとか、すごい。ミスター・ポテトヘッドが「感謝永遠にだ!」(この台詞英語では毎回何て言ってるんだろう、宇宙人感出すために) みたいに言ってたのもよかった。)
とはいえ。一人だけ逃げたロッツォが逃げてる?(保育園に戻ろうとしてる?)時こういかにもそういう、ズルをした人の歩き方してて(目線を含めてのズルをした人の歩き方)、ズルした人間ってこういう風に隠れて生きていくんだなぁと思った。(杖なかった?からそれもあるかも、というかぬいぐるみの初老?感出すのとこの時の為に足わるい設定なのだとしたらすごい、ああいう歩き方でも不自然じゃないものね。)
でもピクサー(やディズニー)のスタッフさんはすごいね、悪役のロッツォを、保育園には戻さず(悪い意味での支配者にもうさせない)、かといって捨てるとかやっつけるとかでもなく、トラックの運転手に拾わせてハグまでさせて、でも一等大事にしてもらうんじゃなくてトラックの前の部分に磔?にさせて適度な罰(逃げられない、&走行中砂埃あり)を与えて。
ここ数ヶ月?で見たピクサーディズニーの作品のなかで、悪役への罰でもしかしたら一番痛快&粋?&優しいかもしれない。(生かしといて逃がさないっていうのはある意味厳しいとも言えるかもしれないが。)
「塔の上のラプンツェル」「美女と野獣」の悪役は自滅型。(ただ、紐?引っ張ってゴーテルの足引っ掛けたパスカルも目をギュッてしてたしラプンツェルも手を伸ばした(精神的に)。でもゴーテル、衣服地面に着く前に体は消えてたからやっぱり制作陣はパスカルの手を汚させないという。悪者に仕返ししたい、悪者こらしめたい追放したい等の人間心理や観客心理も汲みつつ。)(ガストンは、野獣を背後から刺してそん時気持ちが高揚?して油断したのか天罰下ったのか、雨降ってたのもあって?転落)
「リメンバー・ミー」は、半分自滅?(生きてた時と同様に鐘につぶされ?たのブラックにユーモラスよね(苦笑))だけど、自業自得型かな?結局自滅か。生者の世界でもちゃんと人々に(えぐくない方法で)報復され。でも写真?絵?はなくなったけど、「忘れてやる!」みたいな文言(ある意味親切(笑))と共に胸像?みたいなのあった気がする。から、もしかしたら死後の世界でも消えてなくて、あの主人公と実の曾祖父が一旦すてられ?た場所で生かされてるのかなとか想像の余地くれるのが、粋というか洒落てるし優しい。やっぱり大人にも子供にも愛されるディズニー・ピクサー。流石。(でもあの場所で悪役の嘘つきが生きてたとしても、人々からの称賛?とか、世間的に高い地位・名誉が何より大事だった悪役本人にとっては、誰にも歌聞いてもらえず誰にも褒めてもらえなくてちゃんと罰になるっていう。)(余談:「ズートピア」って、悪役の羊の市長さん?は最後どうなったんだっけ、ふつーに逮捕だっけ。)

ミセス・ポテトヘッドのなくした目がリモート機能あって便利って思った(笑)最後ちゃんと回収する場面もいい(笑)

いい画がいっぱいあった。

アンディが最後ひとりひとりをボニーに紹介するのも、大きくなってからはあまり若しくは全然遊んでなかったとはいえ、ウッディ以外の子たちもちゃんと愛してたんだなぁって思えて。
アンディが車で去っていく場面も、ボニーのことをママが呼びに来てボニーは家に入った後だったから、ウッディたちだけで見送らせるっていうのが、スタッフさんの愛っていうか優しさだなぁってじーんとよかった。ウッディたちだけじゃなくて、アンディのことも愛してるんだね、スタッフさん。アンディのこれからの幸せを、ウッディたちも、制作者皆も、心から願ってるんだなぁと。はぁ。面白かった。

(余談。映画放送終了後にTwitter見たら「泣いた」みたいな感想多くてびっくりした。ハラハラドキドキワクワクはしたしあったかく感動もしたけど、わたしは泣かなかったから、どの部分にどの程度どう反応するのかはほんとに人それぞれなんだなと。(トイ・ストーリー3、感動で泣いてる人が多いのかなって思った。)わたし多分、ポジティブな感情よりネガティブの感情で泣くんだと思った。「リメンバー・ミー」の時は泣いたけど、たしか終盤の感動シーンではなく冒頭等の、家族に音楽禁止されて誰も味方いない状況に泣いたし、ジブリ「かぐや姫のものがたり」でも泣いたの翁に対しての怒りだったし、「美女と野獣」でも少し泣いたの野獣がしょんぼりというか消沈というか傷心してる場面だった。観る度に今まで必ず泣いてるのは細田守「時をかける少女」だけど、時かけも、「未来で待ってる」ってとこより、マコトが(悲しくて)大泣きしてるとこでつられて大泣きするから、やっぱりネガティブ寄りの感情の時に泣くの多いっぽい。けど、音楽では、救われてというか、そういう感じが多い。その救われて、の元だってネガティブな感情があって寄り添われて安心して、だけど、映画のカタルシスの涙と種類異なるんだなって思った。気持ちがプラスに振り切れるのは、やっぱわたしは音楽なのだろう。※映画は映画でカタルシス心地よいが、漫画と近い。ここらの住み分けっていうかカテゴリって、本能、どうなってるんだろう、ちょっと気になる。)