18歳の主張を書いてみました。困っている方は参考にしてください!

 

18歳の主張 

introduction

18歳、それは人生の閾に立つようなものだ。「子供」の終わりと「大人」の始まりの狭間に位置し、 無限の可能性と同時に、責任の片鱗が見え隠れしている。私は夢と現実、自由と責任の間で揺 れ動きながら、自らの歩む道を進もうとしている。 

 

Body1: 大人の自由への羨望
私はよく思う、大人はずるい。大人は私たちがまだ夢見ることしかできない自由を当たり前のよう に楽しんでいる。時間とお金を自由に使い、自分の意志で買い物をしたり、旅行に出かけたりと いった娯楽を楽しむことができる。また、夜遅くまで友達と集まって談笑したり、ゲームに没頭した りする自由は、私たち学生には許されていない。大人は「もう大人だから」という理由で、私たちが 注意されることを気にせずにできる。世間は学生が自由だと思っているようだが、実際に学生で ある私は、保護という名目の下、多くの制約の中で生きている。この不公平感は、一つの葛藤と なっている。 

 

Body2: 大人の責任と生活の現実
一方で、大人の自由には見えない代償が伴うことももちろん知っている。仕事でのプレッシャー、 家庭での責任、そして経済的な自立。多くの大人は、朝早くから夜遅くまで働き、仕事から帰宅し た後も、家事に追われる。また、大人は自分の生活費を自分で支えなければならない。 これらは、学生生活とは全く異なる日々だ。私たち学生は、学校に行き、帰宅後は自分の好きな ことをする自由がある。長期休暇には遊びや趣味に没頭できる。しかし、大人にはそのような長 期の休暇はほとんどない。 私たち学生は、まだ親や保護者に多くを依存しており、私たちの親が支えてくれているおかげで 成り立っている。大人の生活は自由と引き換えに大きな責任を伴う。成人した今も、まだ遠い未 来の話のように思えている。 

 

Body3: 大人への準備と成長の旅
思えば、これまでの私の人生は、自由と責任を学ぶ過程であった。 小学生の私の世界は小さく、良く言うなら安全な範囲に限定されていた。「子供だから」という理 由でスマホを持つことを何回も断られ、コンビニに行くことは当時の私にとっては一大イベントだっ た。 中学に入ると、自由は少しずつ広がり、スマホで友達と交流したり、少し遠くまで遊びに行ったり といったことを許して貰えるようになった。一方で、受験という課題が私を待ち受け、「自己責任」 を自覚し始めた。親に言われて仕方なく勉強するのではなく、自分のためにやらないといけない。 学業と自由時間のバランスを取ることの重要性を初めて痛感した。 高校に進学すると、自由と責任はさらに大きくなり、ここでの選択は、将来の進路に直結するもの となった。最も大きな責任は進路の決定だ。私は、将来の夢である、薬剤師になるために、薬学 を学ぶことを決意した。偏頭痛で辛いときに薬剤師に薬を処方してもらい良くなった時の感動を 基に、病気になった人を助け同じ感動を味わせたい、と思ったからだ。この夢を追求するために、 私は大学への進学を決意した。

Conclusion
私の人生において、18歳は特別な年であり、この一年間で、大人の自由と責任の両面を垣間見 ることができた。私は、薬剤師という夢に向かって歩みを進める中で、自分の未来を自分の手で 切り開いて行きたい