久々の更新。

 

春先にちょっと腹が立つことがあって、

 

そのまま拗ねたおしてました。

 

 

 

そろそろ、拗ね飽きてきた。かも。

 

ちょっと前に進もう。

 

 

 

 

 

先日、SNSで『不同意の同意』という言葉を見つけた。

 

 

 

例えば、早朝、子どもが起きて「お腹が空いた~!!」という。

 

母親である私は、まだ起きたくないのに起きる。

 

起きることに同意していないのに、状況的に起きることに同意しなければいけない。

 

(と思い込んでいる。)

 

 

 

起きて、トイレに行きたい。

 

でも、子どもに「水~!!」って言われたら、

 

自分のことを後回しにして水を入れる。

 

(と思い込んでいる。)

 

 

 

 

などなど。

 

 

 

 

 

この不同意の同意をため込むと、不満がたまって爆発しやすくなる、らしい。

 

 

 

 

 

 

最近の気分にものすごく当てはまるな、

 

と思った。

 

 

 

 

茶碗を洗うのは大嫌いだけど、

 

他に洗う人がいないから洗う。

 

 

 

お弁当を作るのも大嫌いだけど、

 

「お弁当がないとお金が…」とか言われるから作る。

 

 

 

 

不同意の同意。

 

 

 

 

 

また逆に、茶碗洗うのを限界ギリギリまでため込んで、

 

他の人に洗ってもらおうと『不同意の同意』を強要しようともしている。

 

これはこれでまた問題だな、と自覚した。

 

 

 

「これやって」「これやりたくない」とちゃんと伝えないと、

 

と思いつつ、言えないから同意したつもりもないまま不満をためていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、だ。

 

 

この『不同意の同意』ってどこから始まっているんだろう?と、

 

振り返ってみた。

 

 

 

 

多分。

 

 

 

『この世に生まれたこと』

 

が、

 

人生において最大の『不同意の同意』なんじゃないか。

 

 

 

 

 

生まれたこと、生きること。

 

自分にしてみれば、いつの間にか生まれてて、

 

生まれたからには生きろと言われ、

 

勉強しろ、就職しろ、結婚しろ、子どもを産め、

 

と言われ、

 

(もしくは言われた気がして)

 

ここまでやってきた。

 

 

 

 

 

 

生まれたことに同意していないから、

 

すべてのことに同意できないまま生きているんだ。

 

 

 

 

 

 

じゃあ、生まれたことに同意するってどういうことなんだろう。

 

生まれたことに同意している人って、どうやって同意できるようになったんだろう。

 

 

 

 

 

それってたぶん、

 

『生まれてきてくれてありがとう』

 

『生まれてきてくれただけでうれしい』

 

『あなたが生きていてくれるだけでいい』

 

『あなたのそのままの存在が大切』

 

っていうことを、

 

親や、身近な人から受け取ることができたってことなんだと思う。

 

 

 

 

 

 

自分が生きることに同意したから、

 

生きるために何をするかを自分で決められる。

 

 

 

 

 

それを受け取ることができなかった、

 

自分が生きることに同意していない人間は、

 

「生きていていいですか?」「私はこれでいいですか?」って

 

他の人に同意を求め続ける。

 

そして定期的に死にたくなる。

 

 

 

 

 

 

じゃあ、そんなわたしはどうしたらいいんだろう。

 

 

 

 

そう考えると、

 

できることは、

 

『わたしはこれをやる』と決める。

 

そしてやる。

 

やったことを『できたね』って認める。

 

『わたしはできた』って1個1個確認する。

 

 

それが、

 

『生まれてきてよかった』

 

『生きているだけでうれしい』

 

『生きているだけでいい』

 

『わたしのそのままの存在が大切』

 

って、自分に伝え続けることにつながるんじゃないか。

 

 

 

と思った。