☆カメときどき車☆

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ひたすら多趣味に展開してます。

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こんばんは

うちの子供達が日々成長する中で
幼少期の自分を思い出していた。

小さい頃自身は車のおもちゃを与えられなかった。
興味も無かった。

実家がチューニングショップだった点でいつも現物だった。
それでも興味が全くなかった。
当たり前すぎたのかな?
普通はプラレールや消防車が好きなのが男の子で
あると考えていますが
何故かいつも姉とおままごとをやっていた。

幼少期はどちらかと言うと嫌い?期待に応えなければと思っていたかな...

その幼少期を話すと...
バイクについては幼い頃から乗らされていた為
今は乗りたいとも思わなくなってしまった。
最高な条件で親はモータースポーツをやらせていたのにモノに出来なかった。
今となってはその不甲斐なさが心残りです。

どこにいっても恵まれているや羨ましい
自慢の息子さんですねと言われていた気がする。
親父はそれに酔いお前は恵まれた環境にいれて幸せだなとよく僕に言ってきていました。

子供ながら嫌だなと感じていました。

当然ながら小学校から帰るとバイクのメンテをしろや
工具の使い方が違う等怒鳴られていた。
この人は周りに自慢したいからやらせているんだと
感じてた。

その反面母親は自分の姿を毎日心配していたんだなと
振り返ると思う。
500円くれて駄菓子屋に行ってきて良いよとか
一緒に行こうと言ってくれました。
それが嬉しかったのまだ覚えてる。

そうこうして3歳から始めて12年...
大怪我をし完全に引退し何も無い人になった。

そこで出会ったのが地元の走り屋だった。
隣に乗せて貰った時になんか自由と言うか
車は素晴らしいと感じた。
車が素晴らしいのではなく新鮮さ故...
そこからは山へ毎晩行くのが日課に...
最初はチャリで行ったりもした。

親父のスポーツカーにはよく乗っていたが
特別先輩の車に乗る時は気分が上がったモノです。

それから何かが目覚め高校も行かず
若干15歳で家を出て整備工場にバイトに出るのでした..
途中掛け持ちで実家の手伝いもしたが、
どうも職人気質が強く衝突してばかりでした!
10代の頃は全く親父が理解できなかった。
その後車関係を転々と掛け持ち...

尊敬していた姿もありました。
レストアやエンジン組んでる父親が独特の空気を出し眉間にシワ寄せ凄い神経質な顔していていた。
良いものが出来た時のあの嬉しそうな顔...
忘れられないなぁ...

その頃はオートサロンに車両展示したりと
色々やっていただけあって凄いなと尊敬はしていた。

今になっては当たり前ではあるがワイヤータックという名前はここ10年以内に知った言葉であるが、
25年前から目の前で見ていた作業ではある。
何やってんだろとはよく思っていたけど興味が無かったので聞いたことは無かった笑

自分が実家で店をやらなかった理由は3つある
①幼少期に言われ続けた将来有望や実家を継ぐ2代目だと言う言葉 自分の人生だし絶対何んでもいいから自分だけでやり抜きたいとずっと考えていた点
②職人の世界で意見がぶつかるだけでうまくいかないと分かっていた点
③圧倒的に自身の性格と親父の性格が違う点

現に納期無視をし納得してからではないと手をつけない、お客さんに強く当たる姿
良いモノにするからには俺が基準だスタイルには
本当納得できなかった。

今は随分丸くなりました。

周りの同業者には今後どうするんだい?
同じようなもの買わなくたって良いじゃん。
一緒にやりなよとか言われるけど
先の事何も考えていません。

どうしようかな...
どこかのタイミングで踏み寄らなければいけなくなるよなぁ。
考えものです。
あと...10年?いや20年?
10年後位なのか?全く想像つかない笑

ただやらなければいけない事が1つだけあって
自分が作った車両を乗ってもらい驚かしたいです。
乗りもしてくれない辺り向こうも負けん気が出てる気がします。
まだ認めて貰えてないとは思います...
多分負けてないと思うけどなぁ←笑

こんなこと書いてますが現在は仲良くやってます笑
あまり車の話はしない様心掛けをし
孫の写真を送る度に喜んでるお爺さんになっています。


まとめると幼少期のあの気持ちが全ての原動力になったのかもしれない。
用意された土俵では無く自分で全てやり抜きたい...

しかし今だからこそ感謝している点も尽きない
たくさんの経験と色んな物を当たり前の環境でみれた強みが今生きてると感じてる。

根っからの乗り物好きでは無いと言うのがわかるがこれが自分に合うと気付いたのも事実である。
最初はそれしか出来なかったからやってたんだけどね笑


たまにはこんなノリで心を吐き出してみたww
スッキリした。