TAKのホジキンリンパ腫闘病記&漏斗胸手術について

TAKのホジキンリンパ腫闘病記&漏斗胸手術について

悪性リンパ腫のホジキンリンパ腫(結節硬化型)の闘病記録です。2012年、26歳の11月に病気が発覚しました。一度は寛解し、経過観察中でしたが1年程で再発。2015年1月14日に自家末梢血幹細胞移植をし、寛解中。2022年11月11日に漏斗胸の手術を受けます!

ホジキン病の闘病記です合格
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どうも✋

漏斗胸手術から1ヶ月が経ち、術後1ヶ月の診察も無事済んだので私が漏斗胸の手術に至るまでを綴っていこうと思います。順を追って綴るので長くなります。

まず初めに、自分が【漏斗胸】であるということを認識した経緯について。

▶︎小学校1年生の時に心臓検診をやった際に「右軸偏位」という診断を受ける。小児では一般的に見られるとの事で親も特に病院は受診させなかったらしい。

※これはタラレバですが、当時1990年代前半は今のような携帯電話も無くインターネットも未発展だったから今より情報を得づらかったとは思うがもしも病院に連れて行ってくれてたら・・・と思う自分がいました。


▶︎小学校(何年生かは忘れた)のたしか2.3年の時に扁平足の治療を受ける。特殊な中敷きみたいなのを靴に入れていた記憶があります。


▶︎そのまま成長し、中学生の時にプールの授業や川遊びの時に周りの友達が筋肉質の良い身体になってきている事に気付く。そんな中自分は背の順で前から2番目の155cm55kgと少しぽちゃっとした体型で、キューピーちゃんのようにお腹がポッコリ出ている幼児体型のまま大きくなった感じでした。周りを羨ましくは思っていましたが特に自分の容姿は気にしていませんでした。


▶︎高校生になり、だんだん背が伸びてきて成長痛に悩まされる。(結局高校2年の夏休み時点で175cm55kgと中学校から体重は変わらず背だけ20cm伸びる)この背が伸びてる途中、高校1年の夏の最初のプールの授業中に高校で知り合ったクラスメイトに「なんか胸の形おかしくない?凹んでない?」と言われる。

▶︎このクラスメイトの一言がかなり精神的にこたえてプールの授業を見学しがちになる。また、夏の薄着の時、普通体型の人はお腹より胸板が出ているため見栄えが良いが、自分は胸より助骨弓(肋骨の下の方の弓状の骨)やお腹が出っ張っていて特に横からの見栄えが悪い事を認識・意識してしまうようになる。


▶︎助骨弓の出っ張りや胸の凹みを無意識に隠そうと猫背になる習慣が付いてしまう。だが、この猫背状態だと呼吸や心臓が楽な事にも同時に気付く。


▶︎胸板よりお腹や肋骨が出ているならそれ以上に胸の筋肉を付ければ良いのでは無いかと思い筋トレを開始するも思うように筋肉が付かない、付いても左右差があり見栄えが良くなることは無かったです。左右差については私の場合左の胸が薄く、みぞおち付近が凹みが強い扁平な胸の形でした。


▶︎筋肉が付きづらいのは痩せてるからだと思い体重を増やそうと限界以上にご飯を食べるようになるが腹いっぱい食べると下痢をしてしまうようになる。これは実際に手術する直前まで変わらず、お菓子を大量に食べようがジャンキーな食べ物、揚げ物をいくら食べても体重は変わらなかったです。凹みにより強制胃下垂となり、食べて膨れた胃にで腸が押されてすぐトイレという流れになってました。


▶︎高校を卒業し、就職先の先輩との何気ない会話から【漏斗胸】というワードを聞く。色々話を聞くうちにその先輩も軽い漏斗胸ということがわかったと同時に自分の病名?も漏斗胸というのがわかりました。


こんな流れで18歳になってから自分が漏斗胸であるということを認識しました。今思うと中学生高校生の時にもっと色々自分でも調べておけばよかったなって思います。まぁ過ぎてしまったことは仕方ないですねガーン

長くなってしまったので続きはまた今度にします✋