意識、「私は在る」という実存の感覚、
夢をみずに寝ている状態に在るもの。
これらが私たちの本質である、と考えられているが

これらも「現象」にすぎず
それ以上の意味は為さない。

存在は現象であり、変化も消滅も現象である。
意識も現象であり、空(くう)の状態も現象である。

常に存在するのは単なる現象であり
それに本質的な意味はなく、
ただ「在る」から「在る」だけのこと。

現象とは状態、とも言い換えられる。
意識も状態のひとつである。

「在る」というのは所有していることでも
行為でも、起こりでもなくただ永遠である。

「在る」という状態は
時間や空間に縛られたり、
依存したりすることはない。

「在る」は常にありつづけ、
「ない」は存在しない。
欠損の存在が「在る」だけ。

法則、というのも一瞬のうちの一コマの現象である。

法則は「時間」がなくては存在しえない。
法則は「こうなったらこうなる」というものだが
そこには必ず時間経過が必要だからだ。

しかし実際は時間は存在しないので
実のところ法則それ自体が存在するのではない。

法則とは単に「記憶と概念の結びつき」という現象である。

だから、簡単に法則を無視してワープすることもできる。それも現象だから。

時間は記憶とイコールである。
記憶がなければ時間はない。
そして記憶は「今という一瞬」における
現象にすぎない。

この世には「今この一瞬の現象」しか
存在していない。
それが永遠にみえるのだろう。