先日電車に乗っていた時のことだった。
自分の前に、小柄で華奢な年配女性が並んでいた。
と、それだけじゃなんの変哲もなく終わってしまうが、私が目を見張ったのが、その荷物の量だった。
両手には海外旅行向けの大きなスーツケース、背中には登山用のリュック、さらに前面に小さくは無い斜めがけのバッグ。
その他にも両肩にビッグサイズのショルダーバッグ。
この小さな体にこれだけの荷物、下手したら彼女の体重を超えるのではなかろうか。
乗車の際に引っかかるのではと気になったが、大丈夫だった。
私はその様相にとてつもない闇を覚えてしまった。
彼女のヘルプマークには、この地区から遠い場所にある病院の電話番号が記されていた。
もしかしたら引越しをしようとしていたのか。
しかし業者に頼む余裕は無いから全部一人で持っていこうとしていたのか。
通常家族がいたら手伝うはずだ。
まして荷物の総量はひと家族5人分くらいにはなっていた。
こんなにたくさんの荷物をたった一人で抱え、遠く離れた町に向かう。
彼女に何があったのだろう、どうにも私はその小さな猫背気味の後ろ姿から明るいものを感じられなかった。
荷物なんか本来できればあまり持ちたくないのが人間だ。
よく言われることだが、荷物の量は不安の量とある。
仕事や旅行で多くなっているのとは違い、日常的に荷物の多い人はなんとなくそういうのが伝わってくる。
大きなショルダーバッグを両肩、それも結構年季の入ったものを抱え、この中にどのくらいの心配事があるのか。
なぜひとつにまとめられないのか、なぜ取捨選択できないのか。
実は私も過去は荷物は多い方だった。
カバンはa4が入らないと不安で、それより小さいものは選択の余地すらない。
その中に色んなものを詰め込み、なかなかパンパンだった。
だがある時に気づいた、その手荷物、どのくらい出番あった?
そこでカバンの中のものを全て出してみた。
携帯(当時スマホはなかった)、財布、鍵、それ以外のものを徹底的に仕分けしたら、最終的には小さめのポシェットでも十分なくらいにまでなった。
今やコンビニがある、万が一無くなっても買えばいい。
出かける前に準備をしっかりする、その時に合った大きさのバッグ、天気予報、行先の周辺情報をチェックする。
スマホのある時代、極端な話もうこれさえあればどうにでもなる。
私は今や財布すら持ち歩いてない。
当初は財布を家に置いてきたことに心もとなさを感じていたが、慣れたらこんなに楽なことは無い。
財布を買わないから無駄遣いしない、クレジットカードを落とす心配もない、スリに遭う不安もない。
そしてどういう訳か、忘れ物も格段に減った。
もっと若い頃に知っておけば良かった。
少し前の写真だが、仕事や趣味に使う道具以外はこれだけで十分と知った。
今や左上のウォークマンも右上のカードケースも持たなくなった。
なお右下のピンクの四角いのはキーボード、折りたたみ式。
これは必要な時にだけ持っていく。
荷物が多い、つまり心配性はある程度治せる。
それは事前準備をしっかりする。
大愚和尚的な表現として処方箋は、心配性を事前準備に全振りすること。
荷物を減らすために心配性のメリットを活かすのだ。
その細い肩にかけたショルダーバッグを、今からでも下ろしてみよう。
あの日に見かけた大荷物の女性に、そう伝えたい。