今日は木蘭拳とはちょっと離れたことを書きます。
愛知県東海市ルーセントハウスで催された
ルーセントPマリア大学 第3回講座
「安曇野プラン~人と人がつながる算数~」を2日間受講体験させていただいたお話しです。
算数が嫌いだったわたしは、今でも2ケタの暗算でさえ頭が真っ黒になるくらい苦痛です。
算数が数学になってからは断固拒否、という感じで本気で0点をとったこともあるくらい。
そんなわたしが何十年ぶりかに出会った算数は、
算数をとおしてどこかで根深く「自分はダメだ!」と思っていた自分を溶かすように癒してくれるものでした。
ほとんどの人がいつの間にかするようになる
1・2・3・4・5 …と物の量を数字で捉える思考、数の概念ですが、
安曇野プランは、知的しょうがいのある人にとって大きな壁となることの多いこの数の概念をバリアフリー化した算数教育のプランで、「人類史」がヒントになっています。
さかのぼること約5千年前に人間は数の概念を得たそうですが、
安曇野プランはそれ以前にもあった量の世界から数に入るまでの背景を取り入れて、
数の概念への驚くほど豊かな創造を見せてくれました。
京都からみえた講師の清水響さんは安曇野プランを実践する数少ない先生のおひとりで、
知的しょうがいのある子どもたちのための算数教室「がじゅまる教室」を主宰されています。
ドラえもんやアンパンマン、トトロ、誰もが知っているキャラクターの手作りのお人形におやつを食べさせることをとおして子どもたちがどのように量や数を捉えているのか、を解りやすく示していただきました。
おなかをすかせてお家へ遊びにきたドラえもんたち(複数人やってきます)に
おやつを食べさせてあげるには?
お家から少し離れたお店へお買いものへ行ったなら、全員のぶんをどうやって買ってこればいい?
数の概念がまだない子どもたちが、
このことをクリアするために小さなステップがいくつも用意されています。
5千年前を生きた人たちも、きっと同じようなステップを踏んできたのですね。
家族や集落の人たちの無事を確認するためであったり、
公平に食べ物を分けるためであったり、
人と人が豊かに暮らしていくために考え出されて生まれた
量と数の関係の背景を思いました。
響さんは安曇野プランの算数と一般的な算数を比較して
「自立の算数と従属の算数」と表現されます。
この表現からハッとされる方は多いのではないでしょうか。
自分で求めて考え創造して得られる算数、
そして、
与えられて従っていく計算式を解くための算数。
わたしたちが本当に育てたいのは、
早く間違わずに与えられた計算式をこなす子どもか、
自分のためと誰かのために数の扱いを求める子どもか…。
少し限定的ですが、そういうことだと思います。
「安曇野プラン~人と人がつながる算数~」を受講してわたしが溶けるように癒されたのは、
自分の中の算数や数学に対する苦々しい思い出が
仕方のなかったことだと思えたからです。
理由もわからず理解できないものに従属することができなかったのかな?
わたしっぽくて笑えます。
そんな昔のわたしにえらかったねってご褒美をあげられるような気がして自己満足。
安曇野プランは知的しょうがいのある子どもたちのためだけでなく、
わたしのような大人を助けてくれる算数でもあると思いました。
響さんの実践する安曇野プランで長年抱えていた深手を癒してもらったことに
心から感謝です。