捨てて 捨てて 捨てたこの2週間でした。
ある有名な方のお説教(録音)を聴いたのがきっかけです。
内容を要約すると次のようなことになります。
●片付けるというのは整理することではなくて捨てること。
だいたい捨てはじめると8割はいらないものだったりする。
●ありもしないことを心配していては、人は幸せになれない。
→これはまだ使うかも、と思って長い間使っていないものを捨てられない。
どうしても必要なものならまた買う日がやってくる。
本も、1度読んだ本というのは2度と読まないことが多い。
●部屋(家)は自分の気を養う場所。そこにある使わないもの「ガラクタ」からの
波動を受けていては損。
(でも、家族や周りのことはいい。自分がまず1か所捨てるだけで変わってくる。)
…などなど。
たしかに!!
これはまだ使えるかも、使うかも、と思ってしまってあるのに
振り返ってみたらもう何年も使っていないもの。
これはまだ着れるし、と思ってとってあるけど、
よく考えてみるとそんな日がやってくるのを想像できない服。
こんなものがたくさん。
ありえないことを想像して、そのために場所をとっているものたち。
今までありごとうございました。
さようなら。
で、捨てたら本当に8割がさようならで、
予想した以上にスペースができました。
スペース、
スペース…
ステキです。
ホメオパシーの勉強をしていると、
潜在能力を活性化する という考え方を教わります。
物がもともと持っている力で顕れてきていない力を目覚めさせることです。
その考え方の1つに含まれていることで、
物が狭いところを動き回るのと、広いところを動き回るのでは
どちらがより大きいエネルギーを生み出すでしょうか、
広いところの方ですよね、
というようなお話しがあります。
わたしはこのことにとても感心して、
木蘭拳の型を動くときも同じだなあと思いました。
「どこまでも届く」 と思って型を動くとき
イメージに助けられて、わたしたちのからだにより広い空間が与えられます。、
そうやって動くことで、より大きなエネルギーを生み出します。
そして、からだにも意識にも広がりがでて、
自分の中の潜在的な何かが呼び覚まされるように感じます。
呼び覚まされる場を与えられる、とも言える感じです。
それが何かはわかりません。
でも、「確かにある何か」。
この、「確かにある何か」たちと出会いたくて
わたしは木蘭拳の型を動き続けているのかもしれません。
捨てて 捨てて 捨てたこの部屋で気を養って、
また新しい「確かにある何か」と出会うのが楽しみです