ここから権兵衛街道(R361)を通り、伊那谷から木曾谷へ移動。
 
 
以前は権兵衛峠が冬季間通行止めになっていましたが、権兵衛トンネルが開通してからは通年通れるようになったらしいです。
 
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中央アルプスに向かい、まっすぐな道路が続いています。
 
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だんだん山の中に入ってきました。
 
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いよいよトンネルです。
全長4,467Mのトンネルです。
 
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トンネルの中も走りやすかったです。
でもこのトンネル、スピードの取り締まりをしているそうです。
 
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トンネルを出ました。
中山道(なかせんどう/R19)との交差点です。
今回はここを左折して、木曽福島へ向かいます。
 
中山道を走り、木曽駒高原へ向かいます。
 
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木曽福島町(現、木曽町)にある木曽駒高原ですから見える中央アルプスです。
 
 
そして、目的地に到着しました。
 
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さて、ここはどこでしょうか?
 
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そう、「木曾旅情庵ユースホステル」です。
実はここ、学生のころからよく来ていたところなんです。
 
ここの大将(ペアレントさん/オーナー)が亡くなって30年弱、大将の義理のお兄さんが亡くなって数年、いろいろとお世話になったんですよ。
お墓参りが目的で来たようなものですから、はい。
 
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右の桜の木の下には大将のお墓が、左の桜の木の下には大将の義兄のお墓があります。
元々田んぼなのですが、今はやっていないそうです。
 
お墓参りをした後、奥さん(現在のペアレントさん/大将の奥様)にご挨拶をして、早々に引き揚げました。
本当は中に入ってゆっくりしたかったのだけれど、11時頃に訪問したため、余計なお世話をかけたくなかったので、玄関先で失礼しました。
 
 
因みに、バス通りから入るところに、大きな看板があります。
 
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すぐそばから、御嶽山も見えます。
 
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ユースホステルは、全盛期と比べると1/3位になってしまったそうですが、ここのユースホステルは継続していてくれてとてもうれしいです。
 
因みに、「奇跡の一本松」で有名になった陸前高田の松ですが、松の木の脇にあった建物は、陸前高田ユースホステルだったところですね。
 
 
この後、木曽福島の市内へ移動します。
 
 
そうそう、国道19号線は中山道、又は木曾街道と呼ばれています。
江戸時代に発達した街道です。
でも、その昔、橋を架ける技術が乏しかったころは、もっと山の上を街道が通っていたそうです。
その街道が「木曾古道」と呼ばれ、標高1,000m位の山の中腹を通っていたそうです。
その「木曾古道」が、旅情庵ユースホステルの前の道なのだそうです。
 
 
標高1,000m位の所なので、夏でも涼しいです。
木曾の御嶽山の歌でもそう言われています。
 
昔々のある夏の日の夜、一人旅の女性が就寝時間が過ぎたころに部屋から出てきて、大将に「寒いので、冷房を止めていただけないでしょうか。」と言ったそうです。
もちろん、冷房など入っていません。
大将は、「この辺は地域冷房なので、1件だけ止めることはできないのです。なので、毛布を出しますのでお使いください。」と言ったそうです。
ええ、大将本人から聞きました(笑)。
 
 
そういえば、昔々、「旧中山道(きゅうなかせんどう)を「いちにちじゅうやまみち」と読んだ女子アナがいらっしゃいましたね。
 
 
それともう一つ。
俳優の田中要次さんのご実家は、このあたりなんだよなぁ。
 
 
その3へ続く。