平成22年3月1日、子分1号の高校の卒業式だったニャ。


どんよりとした雲が次第にとれて、卒業式が始まる頃には、晴れ間も見えて来たニャ。

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体育館の入り口には、「卒業式」と、立看板があったニャ。
あれ?「卒業証書授与式」とは書かないのかニャ?

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「第62回」と書いてあるけれど、明治39年春に開校したので、今年で104年目だニャ。


ステージ脇に、式次第が張ってあったニャ。

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午前10時、式が始まったニャ。
卒業生が、A組から入場して来たニャ。

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因みに、子分1号はD組だニャ。
(→の先は、子分1号だニャ)

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卒業証書を、各クラスごとに授与されたニャ。

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校長先生・PTA会長さん・同窓会会長さんらの、ありがたい言葉を頂いたニャ。
3年前の入学式の日、パパさんがPTA役員を引き受けていたら、校長先生の後に「おめでとう」等と話をしていたかもしれないニャ。

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卒業生有志による、スライド上映だニャ。
スライドと言っても、パソコンで作ったビデオ映像を、プロジェクターで放映したニャ。
3年間の高校生活が、凝縮されていたニャ。

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卒業生が「旅立ちの日に」と言う歌を歌ったニャ。
ここ数年、良く聞く歌だけれど、心にしみる良い歌だニャ。

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影森中学校校長だった小嶋登(現在は定年退職をしている)は、荒れていた学校を矯正するために「歌声の響く学校」にすることを目指し、合唱の機会を増やした。最初こそ生徒は抵抗したが、音楽科教諭の坂本浩美と共に粘り強く努力を続けた結果、歌う楽しさによって学校は明るくなった。

「歌声の響く学校」を目指して3年目の1991年2 月下旬、坂本は「歌声の響く学校」の集大成として、「卒業する生徒たちのために、何か記念になる、世界にひとつしかないものを残したい」との思いから、作詞を小嶋校長に依頼した。出来上がった曲は最初はたった一度きり、「3年生を送る会」で教職員たちから卒業生に向けて歌うためのサプライズ曲のはずであったが、その翌年からは生徒たちが歌うようになった。(Wikipediaより)

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そして、卒業式は終わったニャ。

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子分1号は、最後のホームルームを楽しんだ後、部活の後輩達主催の打ち上げに参加し、夕方から3年D組の打ち上げに参加したニャ。
なので、まだ帰ってこないニャ。


俳句甲子園で入賞した俳句が掲示してあったニャ。

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正面入り口に、女子生徒の銅像があったニャ。
始めて見たニャ。

この高校は、昔は女子高だったニャ。
パパさんが高校3年生の年から、共学になったニャ。

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子分1号、卒業おめでとうだニャ。




ところで、卒業式で歌う歌と言ったら、パパさんは「蛍の光」と「仰げば尊し」だと思うニャ。
子分達は「なにそれ、知らな~い!」と言うニャ。

「蛍の光」と「仰げば尊し」の後の時代には「贈る言葉」が歌われて、今は「旅立ちの日に」だニャ。

いずれにしろ、心にしみるニャ~。



あっ、そうそう、子分1号は、学校を休んだ事は無かったんだけれど、皆勤賞は貰えなかったニャ。
理由は、遅刻をした事があるからだそうだニャ。
遅刻と言っても、雪でバスが来なかったニャ。
バス会社の遅延証明を提出しても「遅刻は遅刻!」と言われたそうだニャ。

厳しいニャ。