ゴダイゴというバンドは
go die go
「死んでまた次に」
と言うような意味らしい。
ちょっと物凄いセンスだな。
god I ego
「神」 「私」 「エゴ」ともなる。
やばいネームセンスだ。
はっきり言ってとても演奏もハラショーしてて日本人離れしたセンスを持っている。
中島らもが、死について書いとったけど、「生きる」の反対は「死ぬ」ではなく「生きていない」になると。
「死という状態は想像力によってのみ想定され得る架空の概念でしかない」
なるほど、言われてみれば全くもってその通りかもしれない。
地球上の生物は連続性という方法で、ある意味永遠の命を持続させているということになるらしい。
でもこの連続性は子孫を残す前に死んでしまっては成立しなくなると思うので、連続は永遠に続く訳ではないので、結局永遠の命にはなり得ないんじゃないかな。
と、思ったけどもし兄弟がいれば、そちらの方で子孫を繁栄させてくれれば、別に自分が子孫を残す前に「生きていない」状態になっても連続性としての命は続いていく訳だ。
また、この流れを逆に見ていく。
らもを引用させてもらうと
僕なら僕という個体の経た時間をさかのぼっていくと、僕はどんどん若くなっていき子供になり赤ん坊になる。それをもっともっとさかのぼっていくと一個の受精卵になる。僕の僕としての存在はここまでである。ただそのむこうにあるのは死ではなく限りない生なのだ。僕は精子と卵子に分かたれる。精子をたどっていくとそれは僕の父親になり、卵子は母親である。同じ方法で父親を、母親をさかのぼっていくと倍々ゲームに枝分かれしていく先にはほぼ無数の「生」がある。死はどこにもない。そこにあるのは輝く「生」の海であり〜以下略
とある。
とても面白い。
そのままひたすら辿っていけば、地球史上最初の生命体に行き着くはずだ。
ロマンしか感じない。