関東の方は、最近大雨が降ったりしているようですね。
地震のニュースもあちこちで聞きます。
コロナの対応で手一杯な今、気候の異常はお手柔らかに、と祈らずにいられませんうーん

みなさんいかがお過ごしですか?ルル先生です猫

さて、一週間ほど前に↓の記事を書きました。
今日は、タイトルにもある通り、この記事に書いたような親の元をルル先生がどうやって離れたのか、書いていこうと思います。

↑の記事同様、内容はちょっとヘビーになりそうです。悪口雑言、言い訳、自己憐憫の山かもしれません。それに、長文になります。
ごめんなさい、苦手な方は、また今度、楽しい話題の時にお付き合いくださいお願い













さて、始めます。

ルル先生、実は二人姉妹の長子です。

住んでいたのは、大きめな地方都市郊外の片田舎。実家は元々農家で田畑を少々所有している、でも現在はほとんど耕作をしていない(主な収入は父親が工場で働いた給料)という家でした。

親たちは自分たちのことを『土地を持つ、この辺りでは裕福な方の家』と認識していたようです。
私としては、ただの農家がどれだけ偉い⁉︎と思ってましたが。

それなのに、この家には男子が生まれませんでした。

私が物心つく頃には『ルル先生が婿養子を取ってこの家の跡を継ぐ』ことは既に決定事項でした。

幼い頃から家で年中行事があると、「ちゃんと覚えて、大人になったらやるんだぞ」と言い聞かされ。

その頃のルル先生、大人たちからそう言われるのが誇りでした。

日頃から親たちに、やれだらしない子だの、はきはき喋らない『おし』のない子だのとけなされ続けていたけれど、その時だけは大事に扱ってくれるから。

けれども、成長するにつれて

こんな家はイヤだ!
こんな家に婿に来てくれる男の人なんて、いる筈ない!

という気持ちが強くなり。

中学生のルル先生は、生涯独身を通そう、と思っていました。

とは言えもっと成長してお年頃になると、少しばかり異性とのお付き合いも経験し、やっぱり結婚への憧れも芽生えて。

とあるボーイフレンドと別れたのをきっかけに、婚活することにしました(当時は『婚活』って言葉はなかったけど)

この部分を詳しく書くと
⭐︎毒親育ちで自己肯定感がなく、異性とのお付き合いなんてうまくいくはずない(『彼氏』に対しても、自分のことなんか好きになってくれるはずがない、と思っていた)
 ↓
⭐︎『めんどくさい女』と思われて、関係破綻
 ↓
⭐︎やっぱり自分のことを好きになってくれる人なんかいないんだと納得、でも相手は欲しい
 ↓
⭐︎でもこんな自分じゃ相手を見つけられないショボーン
 ↓
⭐︎結婚相談所に頼ろう!

って流れでした。

今思い返してみると、その時点では『婿養子に入ってくれる人を探す』のか『結婚を機に強行突破で家を出る』のかという点は考えていませんでした。ただただお付き合いする男性を探したかった。

そんなある日、私が結婚相談所に登録したことを母が知りました。

すると母親はどこからか縁談を持ってきました。
三件ぐらいのお話のうち、一人の男性とお見合いすることになりました。

相手は長男。跡取り息子です。結婚するなら、私が嫁に入ることになり、『私が婿養子を取って跡を継ぐ』というプランは破綻します。

「それでもいいから。お見合いして、いい感じだったら結婚しなさい」と母親は言いました。

あんなに私が家を継ぐことにこだわっていたのに何故?

ちょっといぶかしくは思いましたが、これで家を出られるなら大歓迎、と、当時の私はその点についてはあまり深く考えずに縁談を先に進めました。

お見合いで会ってみた男性は、大柄で、優しそうな雰囲気の人でした。

大柄→私がちょっとぐらい(今より更に)巨大化しても大丈夫そう
優しそう→父親でなくとも、どこかで男性の怒鳴り声を耳にすると身体がすくんでしまうので、この条件は必須

そして仲人さんから「先方さん気に入られたそうですよ」と聞き、ルル先生、この男性と結婚することに決めました。

この縁談を持ち込んだのは、母親が『世話になっている』と認識している方だったので、非常にスムーズに事が運びました。

長男なので最終的には義両親と同居する予定だけれど、初めのうちはアパートを借りて二人だけで生活、というプランも示されて。

お見合いして半年もしないうちに挙式。

ルル先生、もう嬉しくて。
結婚できることもですが、何より家を出られるということが。

結婚式当日は家で衣装を着て、相手の家の仏壇にお詣りし、それから結婚式場に入るというスケジュール。
その時に『お世話になりました』の挨拶を仏壇の前でしてくれ、という母親の要求。

今思うと、頭を下げろと言われて下げる、みたいな屈辱的なものを感じますが、その時は「頭下げるぐらいでこの家出られるんならどんだけでも下げるわ」という気分でした。

茶番だな、と思いつつ、儀式も滞りなく終了させて、ルル先生、晴れて家を脱出できました。


でも今思えば、この時は『物理的に家を離れた』というだけのことで、決して毒親の支配から本当の意味で自由になった訳ではありませんでした。
それは今に至るまで痛感しています。

そして、私は自分の家を出るために結婚という手段を取りました。夫を、自分のために利用してしまったのです。そこに愛は全くなかったのか?いや、少しはあった、と思いたい…

あの家から救い出してくれた夫を、これからも大切にしなければ、と思っています。



どうしても【毒親関係】の話は長〜く、暗〜くなってしまいます。でもまだ書きたいことは書ききれていません😓

また次の機会に続きを書いていこうと思います。
読み辛い内容かと思いますが、もしよろしければ、お付き合いください…照れ