私は、恋愛の延長線上に結婚を見ている人だった。

付き合うという道は、結婚という地点まですっと伸びている。

 

 

だから私にとって、付き合うということは「あなたが世界で一番大事です」と宣言することで、時間、お金、愛情を余すことなくその人に注ぐことを意味していた。

だって、いずれその人と「家族」を作ることになるのだから。

 

 

だから相手にも当然に「あなたが世界で一番大事です」と思っていてほしかった。

 

 

でも、初めての彼氏は、私より大切なものがたくさんあった。

まずは、自分。それから、親。それから、友達。その次くらいにわたしだった。彼は優しくて、一緒にいるときはいつも楽しかった。でも、私はいつも心にぽっかり寂しさがあった。一番大事な人の一番になれない寂しさは、優しさでは埋められなかった。

 

 

今の夫は、出会ったときから、わたしが一番だった。

どんなに忙しくても、会いたいと言って、会う時間を作ってくれた。

どんなに忙しくても、こまめにLINEをくれ、不安にさせないようにしてくれた。

彼の生活の中心にわたしがあり、わたしの生活の中心に彼があった。

それは、義務感からではなく、お互いの心のままに従った結果だった。

 

 

そんな彼と付き合ってから、数ヶ月としないうちに「きっとこの人と結婚するんだろうな」と思うようになった。

というのも、彼と日常生活を共有していくことが、水が上から下に流れるように自然な成り行きのように感じられたからだ。私は一人で生きているわけじゃない。この人と一緒に生きているし、これからも一緒に生きていくんだ。人生の主人公は「私」じゃなくて「私たち」なんだ。彼と時間を共有していく中で、素直にそう思った。

 

 

付き合うことや、結婚に対する気持ちは人それぞれだと思う。

けれど、私と彼=私たちは結婚を選んだ。

 

 

初彼と夫になった彼の違いは何だったのだろうか。

 

 

絵描きに例えてみる。

 

私は、「付き合う」の延長線上に「結婚」があり、だれかと家族を作って一緒に生きていく未来を描いていた。その絵には、「相手を一番大切にしたい」という描写もあった。「休みの日は一緒に過ごしたい」とか「おもしろいことを共有したい」といった描写もあった。

 

夫も、私と限りなく同じ絵を描いていたのだと思う。だれかと出会い、結婚し、だれかと一緒に生きていくという人生の絵。私と夫は、同じ絵を描いていたから、2人でいるととても心地がよかったのだ。思ったところに思ったように、絵の具を一緒に塗ってくれるから、完成にどんどん近づいていく。初彼は、同じ絵を描いていなかったし、そもそもキャンバスに絵を描き始めていなかったのかもしれないと思う。

 

 

 

だから、思うのだ。パートナーを探すことは、同じ絵を描いている人を探す作業なのだと。結婚の絵を描いていない人は、描いていない人同士で、結婚の絵を描いているひとは、描いている人同士で作業をしないと、どこかで食い違いが生まれる。色くらいは変更できても、見ているものが違うのであれば、同じものを描くことはできない。もちろん、それでも、頑張ってすり合わせることはできるのだと思うが。

 

 

結婚するなら、まずは結婚の絵を描いている人を探す。自分と同じものを描いている人と一緒に作業をしていることが、心地よい関係ということなのではないだろうか。

 

 

夫よ、これからも同じ絵を楽しく描いていこうな。色は任せるから。