少し前になるのですが、「お盆休み」 という記事のなかで触れた本がこれです。
手にしてすぐ、一気に読み進みました。
その先が見たくて見たくて。

幕末、佐賀に生まれた男(の子)が、奉公先の商家を上がり、坑夫となるべく蝦夷地(北海道)に渡ります。
たくましい坑夫となった男はやがて結婚し、商いを成功させ、人を使う身分になる。子供をもうけ、その子が婿を取り、孫が生まれ、やがて孫が結婚し、「子」を持つ。
著者が他ならぬその「子」なのです。
著者は、ほんの最後に、母に抱かれる赤ん坊として描かれているのみです。

幕末から明治、昭和。
未開の、それも極寒の地に入って人生を切り開いた人々の物語です。
日々を丁寧に懸命に生きる人々の姿が時に克明に、時に淡白に、描かれています。

海霧〈上〉 (講談社文庫)/原田 康子

¥700
Amazon.co.jp

週末 北海道にいたのですが、行く先々で小説の記述が頭をよぎってよぎって ・・・^^

途中、アイヌコタンに寄りました。そこに、大変に美しい女性歌手のポスターがあって「北海ピリカ」と書いてありました。
モノクロで(確かモノクロだったと思うのですが、色が褪せただけという可能性も。)写真の横に、アイヌの生んだ歌手、みたいなことが添えられてありました。
あるいは 3,40年くらい前の写真である可能性もありそうでしたが、とにかく大変な美人でした。
コロンビアレコードと印刷してあった気がしたのですが、私もいい加減なものであまりよく覚えてないんですよね~・・・。東京に戻ったら検索してみよう、なんて思いながらも。

さて、東京に戻りまして、いざ検索。
・・・しましたが、全く引っ掛からない。
ポスターはあれほど至るところに貼られていたというのに。
まるで狐につままれた気分です。

と、『旅回りの女芸人(浪曲師)で「北海ピリカ嬢」と名乗っていたという ・・・』という記述にヒット。
コレだ! と思って駆け付けると、そこは違星北斗に関するサイトでした。
目を皿にして読み進めば、ここに書かれた「北海ピリカ嬢」は 1900年生まれの片平富次郎の母と紹介されています。
1900年に出産した女性って、少なくとも 1885年生まれですよね・・・
今から 100年以上前のポスターってことはありえない・・・。

あまりに美しいあの歌手はいずこ・・・。


アイヌ女性といえば、口元に "Anci-Pini" (と呼ばれる刺青)が入っている写真を見かけますが、ほんと10数年前まで、あの刺青を入れたアイヌ人女性が実在していたことを先日知りました。その時は急いでいたので読み飛ばしてしまったのですが、後になってゆっくり読もうと思ったら HP 自体が無くなっていました。
刺青は、信仰心を表すものというより、専ら結婚の準備が整ったことを意味する象徴であり、幼少期から彫り始め、17~ 18歳ごろに完成するようです。19世紀後半には日本政府がこの刺青を禁止しましたが、既に入れていた女性のなかで最後の方が他界したのが 1990年代という記述だったと思います。

その時に見た HP とは別のところですが、下の写真のほか興味深い資料が掲載されたウェブサイトがあったので、リンクを貼りました。


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ちなみに写真の中央の女性は 彫刻家 砂澤ビッキーの母上だそうです。
この写真が撮られたのが 1965年頃とありますので、写真の女性たちの年齢から推察して、この世代を最後に伝統文化は失われたのかも知れません。
アイヌ女性を写した写真は、その多くが白黒で、写真のなかの女性たちの表情も乏しいため、日本人によって虐げられた彼らの不幸な歴史とも重り、ついつい見る度に切ない気持ちになっていたのですが、この写真は違いました。
このような雰囲気で彼女たちを捉えたカラー写真は見たことがなく、何だか安堵のような気持ちもありしばし見入ってしまいました。

ちょうど今、北海道立近代美術館で 砂澤ビッキーのドローイング展 「砂澤ビッキ― 素描の世界」 が開催されています。


書評のつもりがまったく違う話になってしまいました^^