お気に入りのブプレリウム。
最近こればっかりです、ラブリーハート

美しい植物はどれでも少なからずそうでしょうけれど、このブプレリウムには特に、周囲の雰囲気をセンスアップさせるがある何かがある気がします。

最近また気付かされる機会があったのですが、結局、私が恋焦がれるものは "センス" なんです。
どれだけ芸術を学ぼうが、デザインを勉強しようが、センスのない人がセンスを手にすることはできないと常々思います。
よく「センスを磨く」と言う表現をしますが、いくら努めてもそこには自ずと限界がある。センスの有無は天性の才覚の有無に尽きると思うのです。

例えば、いくら上手な絵でも、そこにセンスがなければもはや「そこまで」だと思います。
いくらデッサン力があってもバランスにセンスの無さが垣間見えるようではだめ。いくらリアルに描けていても色合いにダサさが残っているようではだめ。
圧倒的なセンスのよさがなければ、見る者を魅了することはできない、そう思います。


ある程度の雛形ができ上がっていれば、それをコピーしてアレンジして無難にまとめることは可能です。
お手本に習って、一見それらしく演出することは容易なこと。
でも、それは所詮 "コピー" 。
そこに何の説得力もないことはすぐ露呈します。

それらしく装っても、本質がない。実態がない。
ないものをあたかもあるように偽ることは多くの場合はそう難しくはありませんが、こと "センス" に関して言うならば非常に困難だと思います。

だからこそ、私は、そこに憧れと尊敬の念を抱き続けるのだろうと思います(^^)


数日、休暇を取って彼と 2人でゆっくり過ごしました。
この時間のなかでまたあらためて、この人には "人としてのセンス" があると思いました。
私がいくら足掻いても手に入れることのない、絶対的なセンスがあるのです。
経験で培うことも、他者から学ぶことものできない "才" が。


それは時に笑いのセンスとなって表れたり、時間の使い方や、与えられた時間の楽しみ方のセンスとなって折々に触れてごく軽やかに姿を表します。
その輝きの眩しさ。

どこか、ダイヤモンドの無限の輝きに重なるところがあります。
あらゆる光を反射し、陽射しの元でも月明かりのもとでも、常に溢れんばかりの七色の光を放ち続けるダイヤモンド。
その「はっ」とするような絶対的な眩しさ。
センスってこういうものなんだな・・・・としみじみ思いました。

そして何より眩しいことに、彼はそのセンスに気付いていません ^^;
そういう自意識はないようです・・・。
『さすが、俺・・・( ̄▽+ ̄*) 』 なんてふざけてみることはありますが・・・。
私にはそれもまたひとつの "人としてのセンス" に思えてなりません。
なぜなら、自意識の強い人間がその意識を捨てることはできません。自己顕示欲の強い人間がそれを捨てることはできません。

・・・この品、この格。
無いものねだりとわかっちゃいるけど。・・私もほすぃ・・・( ´艸`)