数日前、サッカーの日本代表チームの監督に岡田武史氏が決まったというニュースを見ていました。

そこで、ある女性記者が
記:「ご存知のとおり、日本代表チームの監督となるとそこには相当なプレッシャーがかかってくるわけですが。」
と問いかけていました。
ちょっ・・・、え?? それは失礼が過ぎるというものでしょう・・・

と思っていたら、監督が
岡:「プレッシャーについては、あなたより私のほうがよくわかっていると思います」
と返されました。
思わず、「仰るとおり。」とテレビ画面を身ながら小さく呟いてしまいました。

昨今はこうしたことがあまりに多く、驚くばかりです。

本人にしてみれば、単なる表現上の誤りに過ぎず、姿勢として相手を見下しているのではない、と言うのかも知れませんが、紡ぎ出された言葉をそのまま素直に受け取れば、明らかに相手を自分よりも下に位置付けている。
相手ではなく他ならぬ「自分自身」に対して敬意を払い、更には本来敬意を払うべき相手をへりくだらせることで自分に対する相手の敬意を表現させる、そのような日本語がいっぱいです・・・。
それが本人の単なる不見識による日本語表現上の「ミスを生じた結果」なのか、実際に本人の姿勢がそのまま正確に表現された「正しい結果」なのか、相手側にはそれを判断する術がありません。
しかし、そんなことはどちらでもよいのです。
一人の大人がなすことに、「そんなつもりはなかった」などという言い訳は通りません。結果として現れたものが全て、それが言動への責任というものだと思います。
10代~20代そこそこの方であれば微笑ましいことも、それも過ぎた一人前の人間が語った言葉ともなればそれが全てと取られて当然です。

例えば、アナウンサーの徳光某夫氏は、「~その辺りのことを、陛下はよく存じ上げてらっしゃるんでしょうね。」と言い、私の度肝を抜きました。『存じ上げる』、は謙譲語ですよ・・・。失礼を通り越して無礼です。
あるいは、老齢のアナウンサーが「この事故で、男性1名が死亡いたしました。」と言ったのには、憤りすら感じました。ここで使われる 『いたす』 は、謙譲語ですよー、なぜあなたが、他人である被害者を低めて言うの?? と。

週末、訪れたインテリアショップで、そこに商品として置かれていた観葉植物について取り扱い方を尋ねたところ、「お待ち下さい、わかる方がいらっしゃいますのでお伺して参りますね。」と。"わかる方"とは相当に上の方なのだろうかと思わせる敬語使いが滑稽で、ご本人がお若かったこともあって思わず笑ってしまいそうになりました。
同じ組織内の人間に 『いらっしゃる』 も 『伺う』もないと思います・・・。身内を上げる、身内に対して自分を下げる、それらはいずれも、相対的に相手を下げてしまうことに他なりません。

少し前ですが、不動産屋を訪れた時も営業の方に 「当社はこの地域に根ざした会社です、当社の社長もこの辺りに住んでらっしゃるんですよ、本当にこの地域がお好きで(^^)」 と、説明されました。ここでも同じく身内を上げて、その結果目の前の相手を下げる 誤った日本語が何の疑問もなく繰り返されていました。

インテリアショップを出て、その後百貨店でお酢を選んでいたところ、酢のソムリエという方が「こちらはおビールのようなお味で、その後のお料理がいただかれやすくなりますよ。」と。『いただく』は謙譲語。謙譲語を敬語で飾る(?)・・・相手をへりくだらせつつ持ち上げる・・・そんな日本語はありません。
加えて、『おビール』・・・。外来語に 「お」 は付きませんよ・・。
やがて、おワインとか、おシャンペンとか、そんな表現が蔓延して行くのでしょうか・・・怖いです・・。

正しい日本語表現無くして真意を正確に伝えることはできない、と思います。
その意味でも、誤った日本語表現で困惑させられるよりよほど、平易な丁寧語で話されるほうが快適です(^^♪
「わかる人に聞いて来ます」
「その後の料理が食べ易くなります。」
と言っていただければそれで十分ですあひるハート②


それにしても、どうして日本語はこうも崩れてきてしまうのでしょうか。
国語の授業時間が足りないのでしょうか・・・。