小学3年生だったか4年生だったかのある日。
お昼を過ぎて午後の授業が始まって間も無くだっただろうと思いますが、突然教室全体が揺れました。地震でした。
私たち児童は一斉に机の下に潜り込み、机の脚を掴んで揺れが収まるのを待ちました。
震度2、ないしは3・・・程度でなかったろうかと思います。

揺れが収まった頃、私はすぐ隣で同じように机の下に潜る児童に向かって何を思ったか、
「つまんないの・・・もっといっぱい揺れたら面白かったのに・・・」
と言いました。
男子児童は、「・・・そんなこと言っていいのか? 先生に言いつけてやろ、っと。」と言いました。

あれは私の強がりだったのでしょうか、恐怖心の裏返しで何か言わないと耐えられなかったのでしょうか。あるいはこの男子児童と何か関わりが欲しかったのでしょうか。
よくはわかりませんが、はっきりしていたのは、私が彼の反応を待つまでもなく既に後悔の念に苛まれていたということでした。


当時、私のクラスを担任していたのは60代の女性教諭でした。
当時の私には大変な老女に見えましたが、実際はそれほど老齢というわけではなかったと思います。
彼女は非常に厳しい教員で、後にそれが理由でこの学校を去りました。
私が明確に覚えているエピソードはそう多くはないのですが、後になって、実際には覚えている以上のことが色々とあったと聞きました。

私がはっきり覚えていることと言えば・・・

当時、週に2日は学校にお箸を持参しなければなりませんでした。
お箸を忘れた者には、給食室から先割れスプーンを借し出されました。
しかし、この女性担任はそうした代替措置を一切許しませんでした。
お箸を忘れた者は、給食の乗ったお盆を自分の椅子に置き、床に正座して、手づかみで食事をしなければなりませんでした。
この映像は私たちにとってはとても衝撃的でした。
しかし、善悪の分別を習得する途上にある児童のなかには、それが不当だとか屈辱だとかそんな風に理解する者はいませんでしたから、泣き出すような者も怒り出すような者も居らず、初めて目にするちょっとした罰ゲームという感覚でいたと思います。
なかには、お箸を忘れた児童に、自分が余計に用意していた割り箸を密かに貸してやる子もいましたが、それも女性担任によって見つけられすぐさま取り上げられただけでした。
それどころか、置き箸(机のなかに置いたままにして用意してあるお箸のこと。)、割り箸(当日になって貸し借りされたものか否かの判断が付き難いからだったろうと思います)はすべて禁止になりました。

他にも、帰りの会の最後に突如、クラスメートのうちの1名を選び出してその場に立たせ、
「みんな、どう思いますか? この人の悪いところを順番に言ってみなさい」
と促すことがありました。
徐々に、手を上げて発言する者が勇者のような空気になってきて「~しているのを見て、それはおかしいと思った」「いつも~なのがちょっとヤダと思います」などと、異様な吊るし上げのようなことが行われました。
なかには、その場に立ったまま、俯(うつむ)いた顔を次第に硬直させ、涙を流す子もいました。
私はこの空気がイヤで、何とか妨害してやろうと、椅子に敷いている防災頭巾を突然バンバンと何度も力の限り叩いてみたり、重ねた教科書を立てて持ったまま何度も机の上に落としてみたりしていました(・・・・あほ)。何か言われたら「ちょっと座布団をはたいています」「教科書を揃えています」と答えるつもりでした。そんなことをしてみても何らの意味もないのですが、些細な抵抗の意思表示でした。
要するに『ブー』ですね・・・。

当時の私のなかには、担任の教師を前に 『あなたは下らない人間だ、やること成すことが許されないほどバカげていて非道だ』 と断罪する、などという選択肢はありませんでした。

私も一度、とても仲の良かった2人の女子児童と3人でその場に起立させられ、
「この3人は本当の友達だと思うか? 誰がリーダーなのか?」
と非難の対象に引きずり出されたことがありました。
私たち3人のなかに誰がリーダーなどという認識はありませんでしたが、クラスメートのなかからは1人の女子児童を名指しする声が次々と上がりました。
私を名指しするものはいなかったためか、女性担任はあえて私の名前を挙げ「ちょめちょめさんのことは、みんなはどう思いますか? この人はどういう人だと考えますか?」と問いかけました。

この時に一体どんな悪口が上がったのか、あるいは上がらなかったのか、私はまったく記憶していません。例の隣の男子児童が「やさしい。今日は絵の具の筆を貸してくれた。国語の教科書をつっかえずに読める」と言ったことだけは覚えているのです。

そういう意味では、私にとってこの男子児童は心理的に何かしら近しい存在と感じられる相手だったと思います。

しかし。
私には彼の「先生に言いつけてやる」という言葉を受けて黙って耐え忍ぶことなどは到底できませんでした。
彼に頭を下げて「お願い、言わないで」などと頼むことは論外でした。弱みを握られて脅されるなんてことは、当時の(今も?)私にとってよっぽど我慢のならないことだったろうと思います。

私は女性担任のもとへ行き、話がある、と告げました。
担任がおもしろくもなさそうな顔で「何?」とこちらを向き直りました。
私は、「さっきの地震に時、私は『もっと大きければおもしろいのに』と言ってしまいました」と言いました。
彼女は何の感情も表さず、興味もなさそうな顔のまま黙っていましたが、私がそれ以上何も言わないのを見ると私の顔を見ることもなく、いかにも面倒そうに「次からは気を付けなさい」と言いました。

重しが取れた私は、男子児童に言いました。
「私、自分で先生に言ったから。」
彼は驚いた様子で、
「何で?何て言われた??」
と聞きました。
「何も。」

彼は私の顔を寂しそうに眺めて、
「そんなことしなくてよかったのに。俺、お前の言ったこと絶対言わないよ。あんなの冗談で言っただけだったのに。」
と言いました。

私は、きっとそうだろうな・・・と思いました。
彼はそういう残酷さとまったく無縁でした。

それでも私は、黙って彼を信じることも、成す成さぬを彼に任せることもできませんでした。
万が一あとから吊るし上げを食らうぐらいなら、またそれがいつ来るのかとリスクに晒されて過ごすくらいなら、自分で事実を明かすほうがずっとずっと楽だったのです。
私の告白に受けた女性担任が、どんな方法で私を罰するとしても、自分でない誰かに自分の行く先が委ねられてしまうよりも自分の判断でケリを付けるほうが何倍も容易い道だったのです。
それが私の選択でした。


女性担任が学校を去ったのはそれから数ヶ月のことでした。


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