インドで揺さぶられた私 | 生きづらさを抱えたまま50代を過ごす元JW2世のつぶやきブログ

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生きづらいのは、自分に原因があるのか、脱会したとはいえ思春期にうけたJWの教えの後遺症か。。。
同じ思いで生きている人の助けになれば、私の経験も無駄ではないかもしれません。還暦近くになって離婚となりそうな話も。

3月4月は怒涛の流れで過ぎています。

自分でも現実世界に生きている感じが薄くて、地に足が付いていないかんじです。

 

時々そんな時期がやってきますよね。

HSP繊細さんは春はバイオリズムも狂いがち。

あなたにもありませんでしたか?

 
そんな私の今年の春は
想定外の出来事が起きて身辺があわただしく変化していく中で
そんなことは放り出して
年末から計画していた「インド10日間フリー旅行」へ行ってきました。
 



案の定、体調を崩し最後の数日は早く日本へ帰りたいばっかりでしたが
帰国してみると、不思議な日々を過ごした充実感に浸っています。
 
インドという国は「呼ばれた人しか行けない」などと言われます。
私が呼ばれたかどうかは わかりませんが
ずっと気になる国であったことは間違いなく。。
 
 
毎日がカルチャーショックの連続で
とにかく、自分の感情の整理が追い付かない。
 
 
今まで訪れたどの国とも全く違う印象。
既視感がない世界。
 
いや、知っていたのかもしれない。
知っていた。
路上に横たわるボロ布にくるまった多くの人々
いつの間にか横に来て施しを乞う小さな子たち
信号待ちの車の窓に乞う乳飲み子を抱いた若い母親
 
テレビや電波を通した画像で知っていても、
自分の目で見る世界は 感情を圧倒し
心を持っていかれる。
 
 
この時代に。
同じ人間なのに。
 
 
一方で 聖なるガンジス河で身を清め、宗教心に厚く
生まれ変わりや多くの神様を信じ バラモンへ敬虔な人々。
 
親族の身体が灰となっていくのを目の前で見守るヒンドゥーの人々。
生と死の境目が無いかのような場所。
 
生活の中に深く当たり前に信仰心が溶け込んでいる人々。
 
矛盾のように見える現実。
 
 
だからなんなのだ
と言われると
まだ私には答えはない。
 
たぶんずっと分からない。
 
 
普段 感じることのない感情は、
ひとたび揺すぶられると
過去の今まで感じた多くの感情を揺り起こす。
 
今までのいろいろな経験を
どこからか 引っ張り出していて
その時の感情とすり合わせる。
 
ずっと 頭の中でその作業をしていた。
夢の中でも 無意識に。
だからか すごく疲れた。
いったい私は何を感じ、何を思ったのだろう。。
 
他国の人々のことは その国の人以外には語れるものではないと思う。
分からないことだらけだった。
 
 



 
私は?
 
 
まだ消化できていない10日間の世界だけど
 
ひとつ、間違いなく言えることは
 
「所詮、人は 他人のことなど正確に理解できないのだ」
 ということ。
 
かの国の人々が、どういう思考であの世界を生きているか
なんてことは、私には分かりっこない ということ。
 
ならば、同じことがどこでも言えるのではないか。
 
そう、他人の頭の中など誰にも分かりっこないのだ。
自分の頭の中でさえ、分からないのに。。
 
 
そして だから、
「私は、私を十分に味わい尽くして死んでいこう」
そう 思った。
 
運命とか、輪廻転生とか、地獄とか神の国とか 
どれひとつもう信じられないかもしれないけど
 
だからこそ、この今を生きている私という一生を
二度とない日々を
楽しんだり悲しんだり怒ったり頑張ったり
思う存分 アトラクションみたいに生きていこうと思いました。
 
そんなインドの日々でした。
 
 
 
 

 

 

 

 

春海の宗教二世のための相談会

4月はお休みします。

とはいってもお話ししたい方はメッセージくださいね。