20年近く前の話
横浜に住んでいた自分にとって、
8月6日はそれほど特別な日ではなかった。
「広島に原爆が落ちた日」だっていうのは知っていたけど、
平和について考えたこともなかったし、
記念式典も遠い土地での出来事だった。
結婚することになった。
相手は広島の人だ。
正式な結婚の申し入れに対して彼女から、
予想もしない言葉が返ってきた。
「被爆二世だから、
いつまで生きられるかわからないよ・・・」
彼女の母親はすでに亡くなっており、
姉は白血病と闘っていた。
一気に8月6日が特別な日になった。
そして、
原爆が・・・
戦争が終わっていない現実を突きつけられた。
彼女の祖母は、病院のベッドで結婚を喜んでくれた。
横浜から会いに行くたびに原爆の話をしてくれた。
本で読むのでもなく、映画を見るのでもない、
実際に経験した人の、生の声だ。
全く想像のできない世界だった。
が、
弱々しく淡々とした語り口調が、
逆に真実としての迫力を持たせ
話に引き込まれていく。
会うたびに話を聞かせてもらった。
だが、
子供が生まれた一週間後
・・・・祖母は亡くなった。
もっと話を聞きたかった、
というより
生まれてきた子供に聞かせたかった。
「戦争反対」とも「誰が悪い」とも言わない、
ただその時のことを語るだけなのに、
「戦争はいけない」を何百回聞くよりも、説得力があった。
祖母にしかできないことだったのに・・・。
数年後、広島に住むことになった。
家にある祖母の写真には毎朝子供がご飯を供える。
俺は毎日原爆ドームを眺めながら会社に向かっている。
もう、俺たちにとって8月6日だけが特別な日ではなくなった。
そして20年が過ぎた今、
ほんのちょっとだけ
体脂肪率が高いことを除けば
いたって健康のジュン。
今日も元気に
ナイター見ながら
ヤジを飛ばしてます。
誰よりもゼッコーチョーです。